試合結果

9/2 インカレロード 11.9/13周DNF 160km

遅くなってすみません、最後になるであろう更新なのであれこれ考えてたら時間がかかってしまいました。

出走前の目標は完走。ロード練開始時点では10周が現実的な目標だろうと考えていた。しかし蓼科合宿で想定以上に調子が上がっていき、目標を完走に切り替えることにした。さすがにベース不足を完全に克服することはできなかったが、10日間あれば登り方は思い出せることが分かった。間の休息日で身も心もリフレッシュできたし、別日開催は非常にありがたかった。

ロード練を開始すると、トラックの期間に比べ体重が2~3kg落ちた状態で安定した。そして3日前からのカーボローディングで再び体重が戻った状態(62~63kg)で当日を迎える。

出走直前は原くんからマグオンと2RUNを貰い、補給ボトルにもマグオンを解いた水を用意してもらった。TTTや個人ロードの経験からして、これでも対策はまだ十分ではなかったが結果的には攣らなかった(気候も最高に近いコンディションだったのもあり)のでまあOK。
反省すべき点は、出走前に羊羹以外にもたくさん食べておくべきだったこと。連日のバカ喰いで満腹中枢が完全に狂い、一番大事であろう当日の朝にそんなに食べられなかった。1~2日前はおかずもS藤にあげて米だけに絞るべきだったかもしれない。ただ最終的にハンガーノックになってしまったものの、レース中ウィダー2本で160km走れたことを考えるとローディング自体は有効だったと思う。

検車を0.5秒で終わらせ、3本ローラーで20分くらいアップし、20分前にS/F地点に向かうと、3列目くらいに並ぶことができた。

いつもの音楽が流れ始めたくらいのタイミングで伊藤OBから声援を受け、既にエモさ10%くらいの状態でローリングが開始。
新コースの180°コーナーで両足のペダルが外れたものの、旧コース合流後の立ち上がり地獄に上手く対応し何人かパスすることで、ほぼ位置を落とさずに一時停止地点に到達できた。自分にしては上々出来くらい。

リアルスタート後、去年味わったほどの速さ・キツさはなく、ハァハァしつつもnoダンシングで1周目を終える。レース後に聞いた話では1周目のタイムは去年より30s~1m上がっていたらしく、3~5mのパワーにおいては過去最強の自分だったことが分かった。

ロード恒例のどこにいてもキツい現象がしばらく続くも、強豪校による連合逃げとのタイム差が2分ほどに広がった3~4周目の時点で集団はサイクリングモードに突入。自分にとってはまたとない好展開だった。

平地区間も新コースも特に苦戦することなく、むしろ位置を上げるくらいの立ち回りで前半戦を終えることができ、登りでは非常に楽ができた。180°コーナー前で位置取り戦争が勃発するかと思っていたが、何故かペースはむしろ緩むので、ガシガシ前に上がることでその後の立ち上がりを効率よく回避できたのはvery good。

またしても栄養関係の反省になるが、この期間に少し無理してでも固形物を食べておくorより多くのウィダーを摂取しておくべきだった。

レースが後半に突入し相変わらず自分が位置取りに終始している一方で、集団に残った各大学のエースがチームメイトに指示を出したり集団をコントロールする様を目の当たりにし、強豪校がいかに高いレベルでレースに臨んでいるのかを実感しつつ、再び逃げを意識し始めた集団は徐々にペースを取り戻していく。

その後(正確な周数は忘れてしまったが)、強力な追走集団の形成&逃げグループの崩壊によりメイン集団の治安は悪化し、明らかに登りのペースが上がり平地で引ける人がいなくなる。

途端に中切れを埋めさせられたり平地で引かされる時間が長くなり、9周目あたりで猛烈に脚を浪費してしまう。

ここが正念場、今まで乗り越えてきた練習を思えばこんなもの、という気持ちでペダルに体重を乗せる。しかし体は言うことを聞いてくれず、10周目の5分坂で遂に千切れてしまう。この段階で前方のレース展開は一切把握できていなかったが、何かの間違いで前のペースが緩むことを祈りながら淡々と踏むものの、前との差はみるみる広がっていった。

このペースだと早ければ11周完了時には降ろされる。そんな思いが頭をよぎった瞬間、体に力が入らなくなる。登りでもいいとこ200w、下りもほぼ回転数で誤魔化すことしかできなくなってしまった。正直ほぼ諦めてしまっていた。

それでも沿道の部員は変わらず全力で応援してくれている。むしろ千切れた分鮮明に声が聞こえてくる。最後の登りに差し掛かり、あと3分20秒ある、諦めるな!と聞こえたとき、自分以外の全員がまだ諦めていないことに気が付き、さっきまでの自分への怒りとみんなへの感謝の気持ちで涙が止まらなくなる。這うように、ハンドルにしがみつくようにして登りをこなした。

登り切ると共に徐々に冷静さを取り戻し、後ろを見ると橙と桃のジャージが目に入る。合流してみると、まさかのKOJIKEN君。無我夢中で飛びつき、諦め一色だった心が感謝と希望で満ちていく。

するとそれに呼応するように脚も息を吹き返し、平地を300w前後で回せるようになる。ちなみにこの時のローテの比率は私2橙1桃7程。強すぎる。

新コースの登りで橙が姿を消し、2人になる。自分にとっても登りはきつく、すぐにさっき以上に踏めなくなってしまう。ここで千切れたら本当に終わりだという思いだけでしがみつく。だが視界は揺らぎ、次第に真っ直ぐ走ることすらかなわなくなり、同じく5分坂中腹で千切れる。

下り始めで後ろからやってきた崎戸に声を掛けられたがもはや何と言っていたのかも分からず、ハンドルに掴まるようにして蛇行することしかできない。そしてF地点のコーナーを曲がり最後の登りがやってくる。

気力だけでここまで来たが、もう体のどの部分にも力が入らない。道幅をいっぱいに使い蛇行しながら登るが、次第に自転車は自立できるスピードを維持できなくなり、倒れこむ以外の選択肢を失った。

まだレースは続いていて、自分の通過を待ってくれている部員がいることも分かっていたが、体を起こすことすらできない。声を発するのがやっとの状態。

しばらくして、慶應のサポート陣が自分を発見する。その後同期2人もやってきて自分に声を掛けてくれる。色んな感情が込み上げてきて、草に顔をうずめ、謝り、泣くことしかできなかった。

担架で運ばれ、パールカーに回収され、引退レースは終了した。

結局トラックでもロードでも記録に残る走りはできなくて、悔しさは拭えない。
でも、今できるほぼ最高の走りで、いろんな人の応援を全身で浴びながら動けなくなるまでペダルを回し続けられたので、悔いはなく幸せな気持ちで引退レースを終えることができました。
僕の姿が部員のみんなに少しでも良い影響を与えられてればいいなと思います。

引退前は、「暇になるから他に楽しめること探さないとなー」なんて考えていたけど、実際はそんな軽いもんじゃなかった。
今まで、何もしてない時の大半は自分や他の部員の練習やレースについて考えを巡らせていたけどもうそれも意味のないことなんだなーって思うと心にぽっかり穴が空いた気分になった。細かいとこでいうと、風呂上がりにもうストレッチをする必要もないのかーなんて思ったりもした。自転車競技が、ここまで自分の中で大きなものになっているとは思っていなかった。

そしてその分、自分の大学生活が本当に充実していたなと心から言える気がする。それは自転車競技というスポーツに出会えたからっていうのも勿論そうだけど、やっぱり慶應の自転車競技部だったからこそなんだろうなとしみじみ思う。
宇佐美総監督はじめ、時に厳しく時に優しく指導してくださった入部当初の上級生の先輩方、そして辛い時も嬉しい時もいつも一緒にいて本当の兄のように仲良くしてくださった1個上の先輩方、不甲斐ない自分たちを頼もしく力強く支えてくれる1個下、若さと明るさで自分に部活の楽しさを思い出させてくれた下級生の後輩たち、全ての人たちに感謝しています。本当にありがとうございました。

今の気持ちを全部書こうとすると、書き終える前に今の3年生が引退してしまいそうなのでこの辺にしておきます。

メンヘラみたいに長々々と書いてしまったあげく最後の方は綺麗事の連発みたいになっちゃったけど全て本気で思ってることです。
もし最後まで読んでくれた現役の部員がいたら、感謝の気持ちと自転車競技と慶應自転車競技部を好きな気持ちだけは忘れずに最後まで頑張ってほしいです。

4年間本当にありがとうございました!

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