1つの区切りである。3年の冬というものは。
自己分析を兼ねてこのブログを書きたいと思う。
自分が大学から自転車を始めて、繰り返し失敗し、どのような思いを持ちながら自転車と向き合ってきたのかを時系列順に辿っていきたいと思う。
3年の段階で自分は別に偉大な先輩方のような輝かしい結果を残せたわけではないし、自分の発言や考えが全て正しいとは考えないで頂きたい。
一部員がどのように3年過ごしたのかを知り、そこから何か学びを得ることができれば私は嬉しいです。
2年生はいろいろなことがあり、変化も多かったので前編、後編に分けることにしました。
2年生
2年生は苦悩の年である。しかし着実に実力、経験を積み重ねていく年でもある。
結果としては何も出すことはできなかった。しかし自分としっかり向き合いながら練習を重ねることができるようになっていった。
「成長曲線は人それぞれである、だから焦る必要はない、日々努力していればいい」by逸見先輩
この言葉の重みを理解した。そんな年でもある。
「好きなことに全力になれない人間が、社会に出て仕事に全力になれるわけがない」by某国立大先輩
この言葉は2年後半から自分の心にずっとあった言葉である。この先輩に比べると自分はまだまだと思う。
2019年
4月 583km
キャンパスが変わった。文学部の2年生なので三田キャンパスに通うようになる。部室のある日吉キャンパスまではほぼ毎日自走で行けていたが、三田キャンパスには自転車を止めておける場所がない。
今までベース練の意味を持っていた自走登下校の時間を失った。当時の自分はこの重大さにまだ気づいてはいなかった。
三田民になると朝練に来なくて良いというルールがあったようだが、家が練習場所から近い&授業が2限からだったので朝練は当たり前のように参加。
自分は朝練の高強度練さえやっていれば強くなるだろうと漠然と思っていた。
この思考のせいで一日の練習距離は30kmとかである。
あと3年生がこの時点で朝練に来なくなる。来るのは1−2年と当時4年生の福田さん、三宅さんだった。この頃から自分たちの代が練習をどうするのかを決めるようになっていった。
何はともあれ、後輩や下田などたくさん部員が増えたことは嬉しかった。
4/27
RCS第1戦 琵琶湖クリテリウム クラス3A 10位
新年度一発目ということもあり高校上がりの強いやつに太刀打ちできなかった。
4/28
RCS 第2戦 飯山クリテリウム 3B DNF
上記同様、強い奴が多すぎ。パワー的にもクラス3がレベルの違うレースになっていた。
4/29
RCS 飯山ヒルクライム 26位
デブだった。多分65kgはあったと思う。ヒルクライムに焦点を当てていなかったという言い訳をしていたが、正直自分の得意な部分を捨ててどうするんだと今となっては思う。
5月 1187km
変わらず、朝練だけで満足する日々。
いよいよ、この問題に気づく時が来る。
5/12 RCS第3戦 修善寺オープン 7周or8周DNF
競技人生最悪の日であり、一つの転換点である。
「悔しすぎて12日は家に帰ってからはまず自転車を見たくなくなりSNSを見るのも嫌になった(自転車関連の投稿が出てくるので)。」
あまりにも自分が弱すぎた。築含め知り合いがたくさん完走していた中でのこの結果はあまりにも酷かった。クリテもダメ、ヒルクラもダメ、ロードレースもダメ。自分は何もできない雑魚であった。
http://keiobrt.blog.fc2.com/blog-entry-16860.html
当時のブログです。
もう石井はクラス2に上がれないんじゃないかということになっていった。
ただここで自分は変わる。
朝練の日に1時間早く起きる。L3強度でタマサイを20km走ってから朝練に参加。加えて朝練後にもタマサイを20km走った。睡眠時間削って練習時間を捻出した。危機感があったからできた。朝もちゃんと起きれた。
あとは福田さんに誘われて平日にロング行ったりもした。今では結構な人が平然と平日にロング練をやっているが、当時は下級生がそんなことをやっているのは珍しかった。
強い人はどのくらい乗っているとか、どんなことやってるとか聞けたのが良かった。
そしてもう一つの転機がTTT練である。当時部は人手不足であり、自分がメンバ入りを果たした。TTT練で何度も館山に足を運び練習をしたのだが、その中で平坦を速く走るという能力を手に入れる。今まで自分が速いのは登りだけであり、平坦は速く走ることができていなかった。
具体的にはフォームと踏み方をTTT練を通して学んだ。
この頃は福田さん、、三宅さんから多くのことを学んだ。福田さんはナショナルでの知識、三宅さんは実業団レーサーとしての知識等本当にためになる話を多く聞いた。本当に感謝しています。
6月 1112km
6/1 TTT 14位
「持てる力は全て出し切れたと思う。サイコンのデータを見ても限界突破していた(TTはワットが全てではないが)。(中略) 言われていた通り、TTTは本当に辛かった。でも出て良かったと思う。何度も早起きしてTT練したことは決して無駄ではないはず。」
http://keiobrt.blog.fc2.com/blog-entry-16950.html ←当時のブログ
人生で一番辛い時間だった。でも終わってみれば最高に達成感があった。今の1-2年生(小原以外)は経験したことないだろうけどぜひチャレンジして欲しい。TTの練習をしていると比べ物にならないくらいに平坦が速く走れるようになる。
6/2 ITT 24位 Av,40.08km/h
これはTTTの疲れがあり脚重状態。2018年同じ状況で勝った大前さんの凄さを実感。
6月から始めたものとしてstravaがある。今部内ではほぼ全員がやっているが、当時は珍しい(当時の高校上がりはやっていたが)。自分たちより上の代がstravaを積極的にやらなかった理由は「監視されるのが嫌」ということだったらしい。
とにかくstravaは練習量を可視化するツールとしはすごく優秀だし、セグメント機能で過去の自分と競い合える点はすごく面白い。
starava導入で初めて自分が週あたり何日練習し週何km走っているのかを知った。そしていろんな人の練習が見れたのでどんなところで練習しているのか、どれぐらい練習しているのかを知れたのはとても良かった。
stravaトークはまだまだ語れることが多いが今回はこのくらいにしておく。
6/25 Vo2測定 1年の頃より弱くなってることが可視化される。
Vo2 62.7 → 57.0
watt 369w → 386w
体脂肪率 14% → 18%
でも朝練前後のLT走は確実に効果があり、その効果が現れるのは秋のVo2測定である。ちなみにLT値が250wだったので巡航250wでタマサイ走ってた。
7月 916km
zwiftの導入である。
これから成長第二期本格的に始まる。
7/5のブログ
「ただ自分で走っているだけなのに20分が250w超えるのは成長を感じる。
諸々加わって総合的にLT値で走ってるので良い感じ。」
7/6のブログ
「tacxのスマートトレーナーを買いました!!!
まだ届いてないですけど、今週中には乗れそうです。
慶應一のZwifterになってみせます!!」
これは有言実行したような気がします。
スマートトレーナー高かったけど、強くなるための投資は積極的にするべきだという考えだったのでポチった。
この頃の自主練習はひたすらzwiftでレース参加。レースなので一人で走ってるより数段高い強度で追い込める。さらに駆け引きやアタックがあるのでインターバル能力も自然と強化される。テスト期間ながら4日連続レース参加とかしてた。
7/20 RCS草津ナイトレース DNF
ラストスプリント前の落車に巻き込まれDNF。怪我した状態で関西から帰るのは本当に辛かった。自信を持って挑んだ分落胆度合いも大きかった。
「こう上手くいかない(もっとも自分の人生で何事もなく上手くいった物事はないが)のでモチベが0になりかけたがここで諦めたくはないし、期待し応援してくれる人がいるので白馬頑張ります。身体中痛いのでそもそもまともに走れるかわかりませんが。
ポジティブなことを言えるほど身体的、精神的余裕がないです。」
7/27 白馬クリテリウム 1日目 7位
「今日は最初から逃げると周りには公言していました。」
実力がクラス3内ではおそらくある+スプリント弱い+落車は嫌
→結論:逃げればいい
結果として逃げることはできた。しかし、逃げ集団内での駆け引きが下手でスプリントで沈む。
7/28 白馬クリテリウム 2日目 4位
「この2日間共に、勝つことは出来なかったが積極的に動けたし、数人しか残らない最後まで残っているし、ということでクラス3での自分の強さに関してはある程度自信が持てた(まぁもっともっと走れるようにならなければならないが)。
もうあんまり誰かを恐れながら走るのはやめよう(一部除く)。」
日大の華麗なチームプレイをかまされ脚を使わされたが、なんとか先頭に残り続けた。先頭は4人にまで絞られたが、最後ついて行けなかった。強くなってはいたがまだまだであった。
http://keiobrt.blog.fc2.com/blog-entry-17470.html ←当時のブログ
こうして2年目もインカレに出れないことが確定する。
ちょっと前まで2年生の白馬までに昇格できないと人間として扱われない部活だったらしいが、先輩が優しかったのでそんなことはなかった(しかし気まずさはあった)。
後編(8月〜3月)に続く……..(まだ辛い日々は続く)
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