インカレロードを終えて

まずはサポートありがとうございました。これだけの数の部員がいて協力してもらえるのは幸せなものです。

インカレロードが終わり、今感じているのは、すごく苦しくてつらかった自転車「競技」という存在が「終わってしまった」んだというなんとも言えない不思議な感覚。最後のレースで自分の目指していた最低限の走りができなかったことは不甲斐なかったと思し、もっと最後に走りたかったという思いもある。しかし、ここまでの練習について妥協したことは一切なかったし、コンディション調整的にも最大限のことはしてきたつもり。結果を残すためにもっとできたことは(客観的には)あるのかもしれないが、自分としては身体能力の限界だったと思う。

今回のインカレに臨むにあたって、慶應としてはおそらく過去最も多いエントリー人数になったと思う。というのも現在トラックの方ではB基準保持者が10人、そのうちA基準保持者が5人、ロードではクラス2が9人という人数。B基準・クラス2であれば必然的にインカレに出れるという入部当初の感覚とは大きく異なるものになっていた。今回のインカレロードに関しては、出走が6人だったこともあり、白馬を終えた段階で自分の出場はないなと思っていた。しかし、川野の欠場が決まり、(こんなことをいうのはふさわしくないかもしれないが)自分にも可能性があると思い始めた。今回のメンバー選考ではおそらく全員の予想通り、纐纈と自分の一騎打ちになった。

最終選考となった木曜日と金曜日の夜には、それぞれが全員の長所と短所を言い合った。木曜日に纐纈がかなり走れていたこともあり、走る覚悟と走らない覚悟の双方をもって話しあいと投票をした。結果的に自分を選んでくれた人がいたことはとてもうれしかったし、少なからずその期待に応えたかったし、補欠に回った纐纈が出場した場合よりも必ず多く走ろうと思って出走した。

出走人数が多かったこともあり、序盤から位置取り合戦。それは予想通りではあったが、1周目の中大山本のメカトラで心臓破りの上で中大が3人止まっていた。それにより日大がペースを上げ、集団が縦長になり、後ろにいるのに下りで休めない状況だった。2周目は登りのペースが速かったのももちろんだが、心臓破りの上でまたも小さな落車が発生。落車を避けるための減速と迂回をせざるを得なくなり、余計に脚を使った。下りでの踏みなおしができなかったことも大きい。4周目か5周目で降ろされてしまった。

レースとしては原因の一部として位置取りも考えられるが、高強度と中強度の繰り返しに耐えられなかったという感覚が大きい。あとやはり休まずに走り続ける能力も必須だ。そんなことわかってはいたが。しかし、実際あとからパワーデータを見ても、今までの練習では出したことのないくらい、zone6や7が出ていたし、脚よりも心拍の方が早くきつくなっていたことを考えると、これが限界だったんだなと思った。

今回のレースにこれだけ大きな思いを持って走れたのは、できる限りの努力をしてきたという自負と、選考によって選ばれているという事実だと思う。結局4年間で何も残せなかったが、走る者としての覚悟と選ばれたものとしての責任を感じたからこそ、レース後のミーティングではそれに耐えられなくなった。

4年間支えてきてくださった先輩、同期、後輩、全ての方に感謝いたします。ありがとうございました。

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