これが最後

国民体育大会at宇都宮競輪場

チームスプリント12位

1kmTT30位

最初で最後の夢の舞台。僕が高校生の時に動画を見て憧れた選手が活躍していた舞台も国体だった。あの時から6年の月日が経ち、念願の国体出場を果たした。

昨年も代表には選ばれたものの、チーム種目はパーシュートだったし結局大会が開催されなかったしで散々だった。就職活動で練習量が減ることはわかっていたので、今年はもう出られないと思っていたが、選考にかけてもらい、自身の枠を勝ち取ることができた。このような機会をくれた神奈川県車連には感謝してもしきれない。

今回の参加にあたり、僕はチームスプリントの1走にすべてをかけた。昨年の12月に骨折し、治ったと思ったら就職活動、その後7月から練習を重ねるもインカレ直前にコロナ発症。その後の練習で腰を痛めるなど、とても満足に練習を重ねられる状態でもなかった。そして、メンバー的にも①杉岡②大橋③野中で250mずつというこれ以上ない条件だった。入賞が狙えるメンバー構成だった。神奈川を引っ張ってきた2人とチームを組んで走れることは僕にとってこれ以上ない喜びだった。

そして実際に走った結果だが、0.600秒差で入賞を逃し、12位という結果に落ち着いてしまった。原因はもちろんいくつかあるし、僕がどうにもできないところもあった。僕個人のところで言うと、スタートは事前合宿でやっていた時よりもだいぶ感触が悪かった点はやはり不満が残った。何度思い返しても悔しいという言葉以外出てこない。

1kmTTに関しては練習ができていない時点でそうだろうな、という結果だった。ただ、気温11℃+雨+500バンクはマジで走り方がわからんかった。スタンがチースプよりも決まっていたのがまた悔しい。4年筋はスタンでしか発揮されなかった。余談だが、ケイリンと1kmは4年生がタイトルを取った。彼らの4年筋は大爆発したようだ。

振り返ってみると「あと一歩」が絶えない競技人生だった。関東大会のケイリンの敗者復活戦は2年連続2位で上がり切れずインターハイに個人で出られなかったり、1年生のインカレ直前のTRSのハロンでA基準に0.03秒足りなくて個人種目に出られなかったり、3年生の早慶戦のチースプで0.16秒差で負けて対抗得点も数点差だったり、卍しで迎えた最後の大会でも入賞まで0.6秒足りなかったり。

人生をかけてまでペダルを踏めたかと言われるとそこまではできなかったのかもしれない。しかし僕の学生生活において自転車が無くなったら何も残らないくらいには没頭してきた。まあ今ロードバイクはないのですが。そんな競技からも、ここで身を引きたいと思う。

幸か不幸か、まだまだ乗ってください、来年も国体来てください、引退なんてさせません、というお声をいただく。なんとも喜ばしい限りである。しかし結果が出せなきゃまた来年、なんてつもりで今回の国体に参加していない。ここが自分にとっての最後だという気持ちを持って参加した。今なら気持ちよく引退することができる。

これからの部の関わり方だが、バンク練にはたまについていこうと思っている。もちろんもう選手としてではないです。これまでの慶應義塾大学自転車競技部での活動を顧みたときに、「僕は何を残せただろう」と感じた。結局結果での恩返しはできなかったし、特に運営面で何か役に立ったわけでもない。そして次世代のチームに短距離班なるものはもう存在しなくなる。そうなった時に智也や山田、これから短距離も頑張ろうとしている人たちがノウハウを知らない状態にまた戻ってしまうことになる。

僕はこれまで短距離選手として活動してきたが、特に決められたマニュアルがあるわけでも、自分の前を走ってくれた先輩がいたわけでもなく苦労してきた。その二の舞にはなってほしくない、同じ轍を踏まないでほしいという思いがある。なので残り僅かな期間だが、自分が持っているものはしっかり放出してから卒業しようと思う。まあ、そろそろ遊びたい気持ちもあるのでふわふわした存在になってしまうかもしれないが、もう少しだけお世話してやります。

そんなこんなでブログを閉めようと思います。長い間くそお世話になりました!俺はもう、二度ともがかねえから!

#君もサグラダファミリアになれる

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