インカレブログ ロードレース

六大学ロード優勝おめでとう。そしてナカタニも昇格おめでとう。来年もまだ学生のくせに一丁前にOB気取り、慶應のジャージが活躍しているのを見るだけで誇らしい気持ちになります。

もう4ヶ月も経とうとしているが、昨日のことのように鮮明な思い出。

9月3日 インカレロードレース 個人6位 ロード総合4位 学校対抗9位

目標は総合入賞。

トラック終了時点では日本体育大学と8点差の9位。最低でも9点を取らなければならないことから10位以内が2人と20番以内に1人入るような成績が求められた。合流してからの大前さんの自信がありそうな様子や直前の練習で感じた行生の調子の良さから3人とも20位以内を狙えるだろうと予測し、個人としては堅実にゴール勝負で8位入賞を取りに行くことを目標に置いた。


前日

調整ライドの帰り道、秋田とすれ違った。いつも通りニヤニヤしていてとても可愛かったことをよく覚えている。

最後の夜くらいは同期と夕食を食べたかったが、体調不良者が数名出ていたことから叶わなかった。夕飯を一緒に食べるくらいでは移らないかもしれない。そもそも感染するようなものではないかもしれない。それでも、もし体調を崩してパフォーマンスが悪かった時、人を言い訳にして納得しようとする自分に納得ができないだろうから控えた。

まあいいか、と妥協の多い準備で迎えたレース程、粘り気の欠片もなく千切れていく。逆に準備段階での犠牲や我慢が多いほど、千切れられない理由になり納豆もびっくりの粘りができる。それがメンタル面でのレースへの準備。

誰かの部屋で夕食後に作戦会議。これまでロードレースにおいて明確にアシスト、エースと分けることをして来なかったと記憶している。これは私たちはプロじゃなくて、部活で自転車競技をしている身だったからそれぞれの努力をそれぞれの成績のために使ってほしいという想いがあった。だからこそ、宇佐美さんが大前さんとこうせい、私の3人をエースに据え、他の選手にアシストの役割を求めたので、やや驚いた。しかし、総合入賞まであと一歩、その一歩にはそのくらいの厳しさも必要ではあったし、チームとして個人の成績に優先してチームの目標を目指せていたと思う。誰でも良い。どんな取り方でも良い。しかし、その時の自分には誰かを犠牲にするほどの強さも自信も覚悟も足りなかった。

ゼッケンはりさこにお願いした。2年生、まだ入部して1年と少ししか経っていない中でインカレのサポートの統括を任せられていた。私から見て誰よりも熱心に、誰よりも入念に、今大会に向けてサポートの準備を進めてくれた。しかし、いくら優秀とはいえ、1年と少しの経験ではサポートの考案にあたり、躓くことも多かったかと思う。先輩たちがそうしてきたように躓いたり、悩んだりすることで成長するのかもしれない。でも、それではサポートのlevelは例年通りに留まってしまう。もっと上を目指せるのにわざわざ例年通りに留まる必要はない。

私がマネージャーをしていた時、他部活のマネージャーが「マネージャーは誰でも日本一を目指せる」と教えてくれた。選手は身体的なポテンシャル差や運、競合選手のlevelによってどれだけ頑張っても日本一になれない事の方が多い。しかし、マネージャーはどうか。先天的な能力に影響されるようなものか。いや違う。そもそもマネージャーの良し悪しは他チームとの相対評価ではなくそのチームにおける絶対評価。選手の求める声に答えているか、どれだけ答えようとしているか。どれだけチームに対してできることを出来たか。

そして、選手と違ってマネージャーはやる気と根性さえあれば引き継げる。だから、代を重ねてサポートの質を向上させていくことが出来る。まずは、マネージャーが日本一になる。そしていつか日本一を取れる選手が出てきた時、総合入賞できるようなメンバーが揃った時、十分なサポート体制が用意されているように、サポートがネックにならないように。そんな想いでマネージャーを務めていた。

いくらマネージャーが頑張ってサポート案を用意してくれても選手の目線がないとそれは不完全であることが多いから全知識と全経験を彼女のサポート案に投入した。特にロードレースにおいて、サポートに頼る部分は大きい。だから、そこに関しても自分の要望にしっかり応えてもらえるように準備しておくことは私の責任領域だと思った。そしてそれに応えてできることを全てやってくれた。そんな彼女を始めとするマネージャー達の存在も千切れられない理由になった。


当日

秋田と移動。いままでで1番お喋りだった。秋田はこんなにお喋りなのかと。秋田の今後を期待する言葉を書こうと思っていたのに、書き溜めている間にメキメキと力を伸ばしていた。今後が本当に楽しみ。

気温がかなり高めだったので、ローラーではなく風の当たる実走でのアップを選択した。直前の山梨練習で追い込みすぎたことによる膝の違和感が取れることはなかったので、様子をみながらのアップ。前日前々日と高い強度で走れていなかったので、コンディションは完璧とは言えなかったが、この日はそんな事関係なく結果を出さなければならない日だった。

ギリギリまでアップをしてスタート地点で預けていた補給食を受け取り、長めのグータッチで送り出された。

スタート前に幼馴染と。いまも続けている選手は少ないけど、小学生の頃からずっと走り続けてきた仲間、ライバル、かわいい後輩。ホビーレースの幼児クラスで争っていたのが、インカレロードで争うことになるとは。

全日本での落車があり、下りと集団走行が怖くなっていたからクラス別のローリングスタートは非常にありがたかった。安全に下ったところで一度止まって、正式スタート。

1周目 先頭に一際デカい慶應の選手がいた笑。確実にできる事をしてくれた。ケイリンを熱く走る姿も好きだし、かっこいいと思う。でも高校の時から知っている身としてはロード選手の壮太朗とインカレを走ってみたかったとも少しだけ思う。高3の5月、籠坂峠でマッチスプリントをしたのが懐かしい。

かなり序盤で逃げが先行した。逃げが発生したタイミングでは反応できなかったが、ブリッジできる位置にはいた。しかし、残り145㎞逃げ切ることに自信を持てず、逃げを見送ることにした。この時点で日大が多く含まれていることは確認できており、この逃げを捕まえるのは自力ではかなわず、運任せ、他力本願なレースになることを覚悟した。2年生までの自分ならブリッジしたと思う。だが、今回は確実な結果を求めた。結果的にはこの逃げがそのまま逃げ切ることになった。

大前さんが一番長い坂で積極的にペースを上げていて、さぞ調子がいいのだろうと思った。私は短い反復の練習はしていたが、そこそこ長めに踏む練習をして来なかったので、大前さんの後ろでひぃひぃ苦しんでいた。しかし、これまでの4年間で自分より前に慶應ジャージが走っていることがほとんどなかったから、今までにない安心感を感じていた。

師匠大前翔の背中は大きかった。物理的にも心理的にも。初めて話したのが高校3年の全日本選手権。大前さんも私もそれぞれU23とJunirで個人TT4位。それ以来、私にとってのロールモデルのような存在だった。一昨年はコーチングをしてもらいながら、別々のジャージでJ-proのレースやTOJを走った。だから私にとっては青いジャージのイメージが強いけど、本来被らないはずの大前さんと同じジャージで走れたことが光栄だった。

4つの大きな登り以外はほとんど平坦か下りなので、集団は非常に流動的で前に居ても被されて後ろに下がってしまうことが多々あった。その中でも特に前に居ることを心掛けたのは2箇所。1つが補給の手前、もう1つがUターン前の細い坂に入るところ。

全体的に流れるコーナーでインターバルがかかるところは少なかったから、後ろにいてもそこまで負荷は変わらなかったんじゃないかと思う。だから、どちらかと言えば、展開に乗り遅れないための位置取り。

中盤にブリッジの動きがあった。これも位置的には乗ろうと思えば乗ることはできた。有力選手が含まれており、メンバーのレベルも高く、そのブリッジが成功することは予想できた。しかし、タイム差が2分ほどあり、消耗も激しいだろうから追いついてもその先の順位は狙えないと判断し、見送ることにした。この逃げは実際にブリッジに成功したが、ほとんどが脱落することになった。唯一ツキイチでブリッジできたアベゲンが残り、そのまま優勝した。

その後、突如機材トラブルが起きた。Di2の調子が悪くなり、まもなく完全に変速が利かなくなった。まだまだPIT地点までは距離があり、展開によってはここで試合終了も覚悟した。

だが、幸いにも逃げを見送った後で展開が落ち着いていた事、岡本を中心にペースを落としてくれた事で、SFRをしつつもそこまで消耗することなく代車に乗り換えることが出来た。

代車に乗り変えるとあまりにもバイクが軽く、こっちの方が速いのでは、と疑った。自分でもとても似合うと思うので、記念にいただいてもいいかな?これでアザミラインに挑戦したい。そのままTIMEで走る事も考えたが、タイヤ幅やポジションが微妙だったから1周後に治してもらったバイクに戻した。まさか1周の間に治るとは思っていなかったが、さすがは吉田智也。立教との飲み会がこんなところで生きるとは思わなかった。的確に伝えてくれた伝達部隊もありがとう。

補給には念のため消炎剤と痛み止めを渡しておいたが、幸いにも膝の痛みを感じることはなかった。2本積みたくなかったので補給はほぼ毎周とったような気がする。ミスは一度もなかった。マネージャー達はボトルを渡せなかったりすると落ち込むことが多いけど、基本的にはいまのマネージャーのレベルであればマネだけが悪いということはない。どちらかといえば選手に余裕がなくて、位置取りが悪かったり、タイミングを合わせられなかったり。ただ、その自責思考というかより良くしようという気持ちは大事にして欲しい。当たり前だが、宇佐美さんのボトル渡しが圧倒的に上手い。

終盤、岳に何かすることはあるかと聞かれたが、出来るだけ残って、としか言えなかった。あそこで前を引いてもらっていたら最後の10秒縮んで逃げに追いつけたのだろうか、とか考えたりもする。多分、そうしたらそうしたでまた展開が変わっただろうし、タラレバでしかない。でも、このレースが終われば引退な訳で自分には岳の引退を決める覚悟がなかった。

とある部員に、岳に遠慮している、と言われた。ハッとしたが、まさにその通りだった。ノコノコと戻ってきたものの、止まる事なく4年間走り続けてきた岳とこうせいへの劣等感のような感情を拭い切れなかった。だから、できるだけ長く走っていて欲しかった。怒られてしまいそうだけど、本当に言えなかった。私の弱さだった。

残り5周あたりからプロトンでも後半のアタック合戦が始まった。すべてに反応していては脚がいくらあっても足りないので、ほとんどを日大に追わせた。登りでのアタックだけはそのまま行かれるリスクがあったので、早めに反応した。

体内のエネルギーも脚の力も徐々に限界に近づくスタートから4時間。きついけど、千切れるほどじゃない。ギリギリ最後の登り勝負にはいられるだろうな、というくらいの感覚。いつもならこんなきついのはよ終われ、と思っていただろうに。この日は終わって欲しくないな、なんて思っていた。

最後の2周は本当に地獄のようなきつさだったが、どこを走っていても聞こえてくる慶應の応援に背中を押された。最後の1周に差し掛かるラストの補給地点。その前の3周ほど、毎回アタックがかかって補給できず喉がカラカラだった。その周もアタックがかかっていて取れそうになかったが、取らないと終わると思い、無理な位置からだったが一気に左に寄ってとることが出来た。突然の動きでもしっかり構えてくれていたおかげで取れた。あそこで取れなかったらおそらくラスト1周の中盤で千切れていた。

最後の1周は牽制とアタックの繰り返しだった。途中で抜け出したりせず、最後のゴール勝負に賭けた。有酸素能力の極み人間達と勝負するなら無酸素域だった。

最後の登りに差し掛かり、林原が早い段階で先行し、それを追うようにチャンプが綺麗に加速していく。できるだけシッティングで耐えて耐えてチャンプの後ろで千切れかけながら最終コーナーを抜ける。

林道を抜けて視界が明るくなり、すぐ前に逃げが見える。1位がゴールしたのが見えた。優勝を逃したことを認識しながらも脚に再び力を込めた。しかし、脚にはもう力がなかった。表彰台争いの1メートル後ろ、6位だった。


ゴール直後は悔しくて悔しくて仕方が無かった。レースで負けて悔しくて泣いたのはいつぶりだろう。それだけこのレースに対する思いが強かったのだと思う。でも、それ以上に「このチームでもっとやっていたかった」という想いが強かった。

ただ、正直なところ6位という結果はよく頑張ったのではないかと思う。もっと高い目標を掲げていたら結果が良くなるかと言われれば、上位の選手とはあきらかなフィジカル差を感じたし、逃げにトライしていたらドロップしただろうと思う。だから、今大会においてはきっとこれが最高の成績。しかし、全て終わった後でレースを組み立ててみれば優勝に到達できる位置にいた。これだからロードレースは面白いと思う。

インカレまとめ

総合入賞をかけて挑んだが、対抗得点22点、総合9位と目標にはあと一歩届かず。

あと5点必要だった。オムニアムで最後落とさなければ、ロードでもう一つ上でゴールできれば、なんて考えちゃったりしても、そうできなかったのが自分の実力。いくらみんなで得点を取る、総合入賞じゃなくて綜合入賞だ!なんて言っておいても自分が取りたかったと思う、エースなら。大事なところで取りきれずにエースなんてよく言えたものだと思う。でも、そう呼んでくれる人がいるからそうでありたかった。

慶應義塾体育会自転車競技部を強豪校にしたかった。選手もマネージャーも部員全員が誇らしい気持ちでジャージに袖を通してほしいと思った。そして私たちは全大学の日本一を決めるインカレで学校対抗得点での「インカレ総合入賞」を強豪の定義とした。一人のスーパーエースがいるだけじゃない、団体種目も強い、短距離~長距離まで全ての種目で活躍する選手がいる層の厚いチーム、その定量的な基準がインカレ総合入賞だった。

インカレロード後にも話したが、慶應は強豪だと言われるようになった。今年の実績を見ても、インカレでの活躍を見ても、そういってくれる人は多い。だから、私は誇らしい気持ちで慶應ジャージに袖を通していた。だけど、やっぱり形で見える綜合入賞をしたかったと思う。それを達成できなかったこの悔しさは一生忘れないんだろう。

だが、それはそう思えるほどにこの目標が魅力的でチームに浸透していたからだと思う。自分一人で目指していたならここまで悔しく思うこともなかった。だから、この目標を共有し、インカレ総合入賞に向けてチームで頑張ってきた1年間は本当に充実していた。

だからこんなにいい顔をしているんだろう。

本当に戻ってこられた良かった。それを支えてくれたみんなありがとう。


色々な景色を見せてくれたのも、ライバルや師匠、仲間に会わせてくれたのもロードバイクだった。

ロードレースと出会えてよかった。こんな種目でなければ背が高くもなく運動神経が良いわけでもなく、練習熱心でもない自分が全国で戦えるようにはならなかったはず。結局、どうしたらロードレースで勝てるのかなんてわからなかったが、それが好きだった。勝った奴が正解。そんなシンプルで、複雑で、力業のような頭脳戦のような、個人種目のようでチーム戦のような、そんなロードレースが好きだった。

そして最後に着ていたのが慶應ジャージでよかったと思う。これからはその慶應ジャージがどんな活躍をしてくれるのか楽しみです。

残り1ブログ。

この時感じたビリビリ感は忘れられない
最高のライバルにも出会った。
痛い思いもした
ゴール直後、こんなに苦しむことももうない

最近の記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


アーカイブ

月を選択

最近の記事

  1. ウェスタリアン

  2. 加須TTT・ITT

  3. 練習報告

  4. 最終調整

PAGE TOP