1日目 103km 3110mUP
美鈴湖スタート。行きの車内で美鈴湖や蓼科山荘の位置関係を把握しようと見ていると、この2点の間や周りは緑ばかりで、なんとなく走る道の想像がついた。
M本市街を抜け、まずはとびらに。肺も脚も調子は悪くなく、淡々と踏めた。斜度がきつい部分は踏まされたがそれでも4倍くらいで大体z3だった。初日のワクワクもあったのだろうが、とびらは距離時間が長い長い。大きめの待避所(?)に着くまで本当に長く感じた。冷えたボトルを頂ける幸せを噛み締めた。
均等分けグループから慶應中心に再編成し、ビーナスラインで霧ヶ峰方面へ。3️⃣峰茶屋までは続けて登りっぱなしだったが、休憩したのもあって余裕があった。絶景を楽しみつつ下ると和田峠の文字。ネザーゲートはあったのかしら。
霧ヶ峰までも右に見える景色は壮大で、あっという間に三叉路に。森林限界とともにエネルギーも限界を迎えようとしていたが、シラカバココンビニにありつけた。
最後は宿前周回。3段坂の終盤にまだ上げられる余裕がある気がしたので、長谷川先輩の横まで踏んでいって上げましょう発言をしたら発射に全くついて行けずフィニッシュ。身の程を知った。一本引きありがとうございました。
2日目 105km 2320mUP
自分は宿前5周。1周目は復習で、それ以降は5分走と10分走を交互。自分は5分10分パワーが厳しい値なので千切れる覚悟はできていたのだが、3周目以降は序盤の登り返しでつけなかった。ただ5周目は勿論実力不足もあるが出し切っても踏めなくなって本千切れした。自主補給が消費カロリーに追いついていないことにこの日に気付くべきだった。
その後は雨sacaiに。長いとは聞いていたが想像以上で、往路の中盤からはこんなに下ってもいいんですか?と思い続けていた。
下班が先にスタートで、自分は後発だった。上班の顔ぶれを見て萎縮して早く出発したくなったが、気持ちも弱かったら終わりなので下班を見送る決心がついた。
スタート後は中谷先輩にツキイチ。前にできたグループのペースで1時間登ることはできないので、4倍弱で淡々と踏んでいらっしゃる中谷先輩をターゲットにさせていただいた。きついけど技術的には可能な一定ペース。中谷先輩の神ペーシングのお陰もあり、この作戦が功を奏した。
2度ほど本当に脚を止めたくなったが、気持ちにも脚にも鞭を打った。終盤のトンネル終わりにはつき切れかけたが、気合いで詰めて登頂した。宿前1周分(*当時)の練習量は欠けていたが、中谷先輩と同じペースで登れたことや最後に中島さんをギリギリ視界に入れられたことは自信になった。またもやおんぶにだっこだが、“殻を破る”経験をできたと思う。
3日目 111.5km 2171mUP
インカレロード試走。ハンガーノックで踏めなくなり9周でドロップアウト。
前日までの疲れが抜けておらず脚が動かなくて、3周目で一度大きく気持ちに来た。ただ精神面ではそこで山を越えた気がする。
5周目の補給地点の手前に1段ある坂で、右足裏のアーチを攣ってしまった。補給地点まで流す間で気にならなくなった上に、えいしゅん君に補給ついでにサドルを押してもらって気持ちも上げられたので、美麻2ndクライムで詰めて振り出しに戻した。
その後は段々と疲れて弱くなっていった。8周目にキツかったので補給坂ショートカット復帰ルートを教えていただいたが、千切れるまで頑張ろうと言っていただいたので、分岐せずラストの2ndクライムも頑張ったらそこで限界を迎えてしまった。どれだけ踏んでもz2上部にしかならなくなってしまったので登りはギリギリテンポにならないくらいで走っていると、ラストの2nd坂で矢野さんに元気を頂いて当時の全力でもがいて終了。情けない。
4日目 34km 627mUP
宿前-牧場-逆宿前でリカバリーカフェライド。中谷先輩とゆったりお話しながら、コーヒーフロートも食べてオフらしく過ごした。
昼のMARUとWaka Wakaで復活した。
5日目 95km 2,052mUP
宿前5周と大河原。宿前は始め2周はアップ(?)で残り3周は上げ。ずっと書いているが5分が弱いので、阿部先輩に頑張ってついていこうとしたがやはり厳しかった。最終周の終盤には阿部先輩のお声がけも頂き、踏ん張りが効いてフィニッシュ。
そしてお山へ。自分が割と調子良さそうだったので出しゃばって登っていると、均等分けの後班だった長谷川先輩に悠々と抜かれてしまったので阿部先輩髙橋先輩に続いて後ろについた。
そこから全然自分は厳しくなったのと、ここらどれくらい登るのか分からなかったのとでマイペースに。その後カーブ2つ抜けて下ったらひとまずのゴールだったのでひどく後悔した。
ゴールしたら後続を待って次は大河原の頂上まで。省エネを心がけたが、登り始めて11、2分経った頃に先輩方につくのが厳しくなった。限界間際に残りどれくらいですかと尋ねると5分程度だとお聞きしたので絶望しながら千切れた。結果1分ほどで頂上だったが、先輩方はあと5分登れるペースだったんだと考えるとやはり大きな壁を感じた。峠頂上からの風景は何にも邪魔されることがなく、崇高だった。
6日目 149km 2,640mUP
霧ヶ峰から和田峠を下り、上田→佐久とぐるんと回って大河原へ。
和田峠から市街地に下っていくときの道が特に悪く、二重で疲れた。ゼリー一個しか補給を持って、取っていなかったため、パンク修理待機でローカルスーパーで補給を取れたのはかなり棚ぼただった。
しかし、80kmあたりで力がこもらなくなってきたのでツキイチさせてもらった。しばらくするとアップダウンの登りを勢いで詰めても下りで踏めなくて〜と限界ヒョコヒョコするしかなくなってしまい、90kmを過ぎると本千切れしてしまった。
当時の自分なりに走っていると(死ぬほど長く感じたし、死ぬほど長かったかもしれない)、右折地点で待っていただいている六川先輩阿部先輩南山先輩を見つけた。コンビニまで頑張ろうなどなど優しいお声がけを頂き、温かさに泣きそうになった。
コンビニで沢山飲み食いさせていただき、力がこもらないなんてことは無くなった。そのまま大河原へ。
前日の反省を生かして大河原の長さは把握していた。キツくなってきた辺りで16km看板だったので思考が止まったが、この日は限界まで阿部先輩南山先輩につけるように精進した。離れても気合いブリッジを2回かけたが、そのペースで踏んでいける力は無く、時間にして後ろ半分は独走だった。負荷分析は緩やかな右肩下がりなので、出涸らしも残らないくらいに自分なりに登れたはずだ。頂上で分けていただいた某カップ味噌ラーメンは、誇張抜きに今まで食べた味噌ラーメンの中で1番美味しかった。
ジレ一時紛失ニキで本当に寒かったので、下り始めは20km/hで下った。day5でいう峠2本目(?)のちょっと上で待っていていただき、二重にあたたかくなった。
7日目 65km 1,458mUP
so bad
白樺から上がっていく辺りで、野球選手っぽい言い方だと膝に違和感があったので、ダンシングを沢山入れたり誤魔化しながら進んだ。
和田峠との合流地点までは普通に進んだが、宿前周回に変更とサポートカーから伝えていただいたあたりで痛みになり始め、2回続くヘアピンの1つ目を超えると踏めなかった。惰性での登頂を待っていただき、折り返し。
献言も頂き、宿前はサポートの方々の方に行くために登り一本だけにした。アドレナリンで最後の登り以外は痛みがあまり気にならなかった。5分走スタート地点から恐らく僕にしては割といいペースで踏んでいたが、斜度が上がってから奴が来たので、ダンシングしたり綺麗っぽいフォームでもがいたりして登頂。
情けなかった。7月もっと乗り込めていればなんて思っていたが考えていてもしなかったし、実際噂に聞いていたのにやらなかった。結果毎日疲労は抜けず、ずっと苦しかった。でも夏にはドラマがある。やるしかない。
感謝を毎回書いていたらキリが無いので最後にしてしまいましたが、補給や運転をはじめとしたサポートをしていただいた方々、一緒に走っていただいた方々、お話していただいた方々、本当にありがとうございました。誰かの支えが無ければ満足に活動できないことを身をもって実感しました。自分も部活に貢献する方法は何か考えながら、ひとまず練習に励もうと思います。
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