目標:表彰台
結果:6位
目標達成できず、悔しいし、得点も持ち帰り切ることができずチーム目標的にも申し訳ないという思い。でも、楽しいレースだったし、やり切った感があった。
「勝負事を楽しむには強さがいる」と言われるけどまさにこのことだったのだろうなと。去年は結果もボロボロだったし、辛い思い出しかなかったインカレだった。
高校時代のインターハイはボロ負けした上に自分のパフォーマンスも不完全燃焼で抜け殻だったけど、今回は後悔はあっても未練はなく終われそうだ。
このブログは今後オムニを走る子たちのために遺します。レースの振り返りもそうだけど、オムニアムの対策とレース本番の手引きみたいな位置付けを目指しているので文章量は超大作です。
昨年度のインカレオムニアムの大敗を経ての取り組み
TPに同じく具体的な練習メニューは日々の練習ブログに書いてるので割愛。
昨年度のインカレオムニアムは12位と大敗だった。1~4位が抜きん出ててて、5~8位もその次のブロックで、自分はさらにその下の層みたいな立ち位置の走りだった。
足りないものは全てなんだけど、特に意識して取り組んだ項目が3つ
①増量(レシオを落とさずに絶対値パワーを着実に上げる)
②トップスピードの向上(①がうまく行くがどうかが鍵だった)
③戦術理解度の向上と実践練習
まず①について。これは今年のインカレロードが群馬と前年度から噂されていたので思い切ってできた取り組み。未来の後輩たちのために説明しておくと、2024年度のインカレロードは大町美麻のコースという、なかなか登りが厳しくスプリントではまず決着することがないコースが予定されていた(台風の影響で結局群馬になったけど)。そのために、2024年度のインカレはトラックとロードの両立を狙って、体重をトラックが走れるギリギリまで絞った。
僕は身長が179cmあるんだけど、2024年のインカレトラック直前は63~64kgまで体重が落ちてた。もちろん原因はこれだけじゃないんだけど、登りの調子がいい代わりにトラックのダッシュとかの掛かりが感触的にもタイム的にも悪くて、インカレトラックの高速域、特にスクラッチやテンポレースで速度が上がるたびにかなりダメージを感じてた。
そんな考えを元に、増量しようかなと思って、2024年の10月に少しだけ体重を戻して国民スポーツ大会のスクラッチ種目に挑んだところ5位入賞。デブるのが絶対の正解ではないとはいえ、流石にトラック種目の上位を争う上では細すぎるってことを確信した。
というわけで、2025年はロード種目もスプリンターでもこなせると有名の群馬CSCに決まりそうだったので正式に増量を決意した。様子見つつだけど、68~69kgくらいを狙うことにした。
ちなみに、僕は1~2年生にかけて増量に挑戦し、結果的にただブクブクになってロードどころかトラックも走れなくなる大失敗をしたことがある(その後シェイプアップして無事に強くなった)。


というわけで、適切に増量できるように色々と気を配った。
大学2年生はただ好き放題食べて、ほどほどにロード練とウエイトやってたせいで肉だけがついた。今回は、就活で練習時間を長く取れないことを逆手にとって今までにないくらいウエイトをガッチリやって、その上でロード練もなんだかんだで月1500~2000kmくらいをキープしてた(就活生の鏡)。冬場はレースも少なかったので、週2回の上半身と週1回の下半身ウエイト、それにロード練を継続的に行うことができ、筋肉をつけつつ余計な脂肪は燃やすことに成功した。
スポ研の結果的にも、大学2年時は体脂肪率が19%近い値を出していた(元々脂肪が多い身体、まあそれでも自転車は速いんだけどね)ところ、4年生の春のスポ研で14%まで落とした。ちなみにタニタの体重計なら体脂肪率は一桁です。
まあこんな感じで増量そのものには成功して、筋肉で体重を増やすことができた。
長くなったが、続いて②における取り組み。
まあこれは①とセットで、要は増量したとて自転車が速くならないとダメなわけなんですよ。なんで増量したのかっていうと、トップスピードを上げるためでした。
筋トレだけでも十分効果はあったけど、それにプラスでバンク練では1kmとかダッシュ系のメニューとか、TPのメニュー優先でありつつも自由練習のタームは積極的に短距離系のメニュー組み込んだし、ロード練でも練習終わりに毎回もがくようにしたり、冬場でもフィットネスを落としすぎないようにエンデュランスだけでなく、高強度のインターバルメニューをガリガリ踏んだりした。
余談だけどトラックはピストバイクをアルゴン18に乗り換えてルンルンだったからってのはある。固いバイクなのでタイム種目とかは今まで乗ってきたどのバイクよりもタイム出しやすい。安く譲ってくださった山田さんとお金を出してくれた親には感謝である。返済義務アリだから丁寧に積み込んでね🥲。
サラ足で測ることがないのでアレだけど、インカレ直前はハロンが11前半、1kmが1’08.2までタイムが上がった(前年のインカレ前はハロンがようやく11秒台くらいで、1kmはシングル出るかどうかくらい。IPは当たり前だけどA基準)。サラ足だったらもう少し出たと思う。トップスピードも順調に上がったが、最低でも全種目A基準は切りたいと思っていた。サラ足じゃないって意味ではちゃんと準備すれば切れるだろうけど、練習終わりでも切れるレベルじゃないと余裕をもっては切れないだろうなってことでここは単に見積もりが甘く実力をカンストさせることができてなかった。でも前年と比べたら見違えるレベルにはなった。
最後に③について。僕は高校時代からポイントレースを専門種目としてやっていて、それ以外の種目に出ることはあまりなかった。「地方」の高体連のブロック大会だと1大会で2種目に出ることができる(両方インハイの参加基準を満たせば好きな方に出られる)のだが、僕は「都会」の「関東ブロック」に所属していたので1種目しか出場することができず、そうなると毎レースがポイントレースでのエントリーになった。大学に入ってからもあたりまえ体操のようにポイントレースにエントリーしたため、オムニアム種目に出るまでにはそのほかの種目の重要性というのをあまり理解していなかった。早慶戦とか六大学レベルくらいのスクラッチとエリミはブイブイ走れてしまっていたので。
少し危機感を覚え始めたのが2年生。オムニのリザーブとしてインカレのオムニアムを観戦し、250バンクでのスクラッチやエリミの競り合いの激しさに少し戦慄した。ポイントレースは何回ももがくタイミングがあるので集団で一斉に競り合うタイミングが少なく、スクラッチやエリミのようにみんなが一斉にゴール目指して踏み込むみたいな競り合いをそういえばあまり経験してないな〜、なんてその時は呑気に考えていた。そして、同年11月の国際オムニアムで初のオムニアム。とはいっても予選落ちしてBレースに回ることになり、Bレースでもポイントレース以外の種目でボコボコに(Bレースとはいえ海外のナショナル部隊がたくさんいるけど)され、スクラッチとエリミネーションにおける戦術理解度の不足と技術的な面での経験不足、トップスピードの不足を多いに感じた。3年生以降は自分が出ることになるであろうインカレオムニアムに向けて危機感を覚えた。
長くなりそうなので話を飛ばし飛ばしで書くと、先述の通り3年生のインカレオムニアムでは見事にボコボコにされた。フィジカルだけで見れば入賞くらいなら行けたかもってところだが、普通に位置取りが全くわからなかった。フィジカルも入賞可能性があったってだけで、トップスピードが遅いって課題が足を引っ張り、逃げを潰されたら戦い方の幅が一気に狭まってしまった。そう、3年生のインカレは積極的に逃げたものの足がなかったのとタイミングが合わずに返り討ちを喰らい続けて撃沈した。
というわけで、フィジカルを上げるとともに、オムニアムの4種目の勉強を始めた。前から動画とかは見てたけど、もっと色んなレベルの動画を未漁った。ワールドカップクラスの位置取りを自分も周りの選手もできるわけではないから。
スクラッチは縁があって、3年生の国スポで出場することになった。最初はポイントレースじゃないことに残念な気持ちだったが、終わってみればスクラッチという種目について真剣に勉強する機会になったし、実際に走って色んな展開を学べたし、ちゃっかり入賞して賞状を地元に持ち帰れたしで良い経験をしたと思う。
テンポレースってものはあまり走る機会がないので勉強するだけになったが、ポイントレースと似てるところがあることもあって、元々そこまで苦手意識はなかったので勉強はほどほどにしておいた。
エリミネーションが鬼門だった。身体がデカいっていうのと元々技術に自信がなかった自分は人と人の隙間に入っていくエリミネーションが最後の最後まで怖くって仕方なかった。3年生のインカレでリミッターが少し外れたけど、でも怖かった。エリミネーション自体もだけど250を走るのがそもそも怖くて、そこで体当たりしながら走らなければいけないので、そこを克服できるかも鍵だった。
エリミネーションに限らない対策だけど、とにかく参加できるオムニアムレースには出るようにした。国際オムニアムは学生のうちに開催されたものは皆勤賞。ついでに4年生は全日本がたまたまインカレの1週間前に開催だったので、トラウマ残ってる中で参加を決意した(何があったかはこっそり聞いてね)。ひとまず生きて帰って来れてよかった。エリミネーションは相変わらず一瞬でコロされたけど。テンポレースで見せ場を作った。
でも走るごとにどういう走りをするとダメなのかっていうのが特によくわかるようになってきた。オムニアムは1種目だけできるのではダメで、できるだけ多くの種目で満遍なくポイントを重ねる必要があるから、大崩れしづらいレベルの戦術理解度までは持っていけたと思う。
あとは250バンクへ慣れること、エリミで一番怖い瞬間がイン側に包まれてブルーバンドに突っ込むしか無くなった時。250ってブルーバンドに縁があるからコーナーに突っ込むと半々の確率で吹っ飛ぶ(特にチップは角度がキツくて突っ込むと前輪狩られて転けやすい、上手い人は大丈夫だったりするけどそれはナショナルクラスの人の話)。でも、元々自分はギリギリを攻める人間でないために、いつも動画で見返すとまだ突っ込めたっていうシーンは結構ある。だから普段のバンク練でコーナのイン攻める練習をした。TPのライン取り改善にもつながったし、レースでもインに包まれた時にビビって譲ることも少なくなった。ちなみに後で書くけどエリミではブルーバンド突っ込んで角に引っかかった選手の落車に巻き込まれた。
まあこんな感じで①〜③に重点的に取り組んでオムニアムの準備を進めた。
直前の調整
夏休みってこともあって、半分は自分で練習して半分は部活の練習に合わせる形になった。部活の練習に合わせるとは言っても、その練習で自分の仕上がりが決まるから練習内容に色々と口うるさく注文することがあったとは思う。まあもちろん揉めたこともしばしばあったけど、みんな一緒に練習してくれて感謝である。
練習の方向性としては、インカレに向けた取り組み②で説明した通り。でもその中で説明してない部分で言うと、疲労抵抗性の向上を意識した。タバタとか40-80、30-30みたいなインタバ系のメニューを練習中だけでなく最後に入れることで、何種目も走るオムニアムで最後まで攻撃を続けるための体力作りに取り組んだ。
トラック練はTPの練習が基本で、個人メニューの時は1kmとかダッシュ以外だと半周のウォークダッシュ*5みたいなのは結構入れた。
あとは、本当に直前期のピーキングは全日本のレース走った。
合宿で連日追い込む→少し疲労抜き→全日本でガチレース強度(しかもオムニアム、しかもインカレよりもレベル高い)→ちゃんと疲労抜き→インカレトラック
ってスケジューリング、ざっくりだけど。
全日本の強度はヤバかった。レベルがヤバい。このブログを執筆してる期間中にこの全日本のオムニアムで4位だった窪木選手が世界選手権のオムニアムでアルカンシェルまであと1歩の2位だったというニュースが(窪木選手は前年の世界選手権のスクラッチ種目でアルカンシェルを獲得した)。優勝した児島選手は同大会のポイントレースで4位。このレベルのレースを僕は走って刺激入れした。その当時はただの直前調整レースくらいにしか考えてなかったが、今考えると本当に貴重なレースを走ったと感じた。
ちなみにこのインカレオムニアムで優勝した梅澤選手は全日本選手権オムニアムで窪木選手より上位の3位。梅澤選手は学生の中で頭ひとつ抜きん出ていたが、そのほかの選手も十分強くて、何度も言わせてもらうが生まれる時代を間違えたと納得できるインカレオムニアムのレベルの高さだった。でも、こんなセリフを未来の後輩が言える瞬間が来た時には、日本の自転車競技のレベルはヨーロッパに肉薄できるかもしれない(特にトラック種目は可能性あると思う)。
予選
レース当日の話までワープします。予選以降のレース展開は動画見てください。簡単に解説はしますが。
前日はTPを走ったのみ。アップとダウンをL1~L2でこなし、TPの5分弱でインターバルをかけたのでオムニを走る上ではちょうど良い刺激で足の感触もよかった。
来年以降がどうなるかはわからないが、チップスターでインカレが開催になってからはオムニは予選のポイントレースとオムニアム決勝が同日開催なので1日で5種目を走るハードスケジュールである。
試走でバタバタするくらいなら、会場にゆっくり到着して既に集中力高めた状態でパッとローラーでアップ開始して予選を走った方がいいと考えて、試走には入らずにローラーのみでアップ。おかげで出発が遅くてアパホテルの朝食にありつくことができた。十分な炭水化物をローディングした。
予選落ちることをあまり想定してなかったのでこの余裕のムーブ。まあレース直前までは緊張して万が一のことを考え続けたけど。
ローラーでは30min程度ロードレーサーをハイブリッドローラーで回して、10min弱3本ローラーでピストを回した。
去年はオムニアム最後のポイントレースでハンガーノックになりかけたので予選の段階からエネルギー摂取って部分はかなり意識した。できるだけ固定物を食べて、レース直後とか胃が活発な時はゼリーとかを上手く使う。胃に負担をかけないよう炭水化物を充填し続けた。
あとはEAA。筋肉へのダメージを最小限にするためにEAAドリンクを摂取するよう心がけた。
それと栄養面以外でも深部体温をできるだけ下げること、酸素の摂取は意識した。去年から使ってた気化熱で身体を冷やすタイプのクールベストと、今年から導入したネッククーラーでアップ中とダウン中は身体を冷やし続けた。走る前もクールベストだけは着てた。そして高校のインターハイで使っていなかった高性能な酸素マスクで種目が終わるごとに酸素摂取して呼吸をなる早で整えて次の種目に備えた。
付き添い担当のりさことあおいちゃんがせっせかと働いて、ドリンク切らさないようにしたり、ネッククーラーやクールベストを冷えた状態で待機してくれるようにしてくれた。そのほかもマネージャーや応援の下級生が代わりばんこでうちわで仰いでくれた。感謝である。
予選は2組目。1組目の様子が見られる反面、1種目目のスクラッチまでの時間が短いっていう欠点はある。何人が勝ち上がるって方式じゃなくて、学連恒例の何人が落ちるみたいなやつ。しかも1組目と2組目を同数除外するということでレース開始直前までどこまでが予選通過なのかわからない福袋状態。
なるだけ足は使いたくないけど、中途半端な位置でゴールして予選落ちみたいなのは一番避けたかったので、そこは慎重に考えて走った。結局3人落ちということだった。
作戦としてはラップに乗るつもりで、乗れないor決まらない場合は一発もがいて一撃で5pを仕留めて、そこからは状況見つつポイントを加算しようというもの。15kmで10周に1回の6回ポイント周回。
ありがたいことに今年は應援指導部の方々が来てくださり、エキサイトしすぎてアタックの無駄撃ちをしないようにも注意を払った。六大学や神宮では応援してくださる指導部の方々に応えようとエンターテイナーの自分が出てしまい、アタックを何度も無駄撃ちして戦死した。インカレは結果をなんとしても持ち帰らなければいけないので、どんなに狡猾な走りをしようと結果を求める所存だった。
ギアについて、いつもは企業秘密なので公開しないようにしてたが、もう引退する身なので公開。
エリミネーションだけ55-14、それ以外は56-14で走った。スクラッチは57掛けようか迷ったが、TSP走る選手が使いたがっていたのと、予選で56が少し重く感じたので56を使った。(予選とスクラッチの間にTSPが挟まる時程だった)

自分たちの組は学生ブリジストンが2人いて、特に梅澤選手の動きに乗り遅れないようにしながら走ることを意識した。
最初は梅澤選手が後方待機だったので同じく無理にもがかずにスルー。2回目に前方に位置取りしてゴール前でちょい差しして一撃で5pゲット。5pとれば基本は通過できるだろうって考えがあったので、そこからは自分の立ち位置を守る方向に集中した。逃げはなかなか決まらずもどかしかったが、3回目のポイント周回で2p取って集団の人数を数えたら既に4人が千切れていたので、ペース落としすぎて彼らが追いつかないようにだけ注意した。
そしてサイクリングペースで交代練を続け、無事に遅れた4人をキャッチして、もう4人落ちてるのだから何もしなくても予選通過するのに、予選通過という観点では意味のない飛び出しをする選手を横目に静観を続け、そのままゴール。温存という意味では正しい走りだが、流石に後半の走りが目立たなすぎて、特に應援指導部の方に申し訳なかったので申し訳程度に手を振ってファンサービスしておいた。
1組目がラップした3人以外の選手は最後までドンパチして着順を争っていたのを見ると、僕たちの組は楽ちんに予選通過できてラッキーだったかもしれない。
スクラッチ 🥇
まさかの首位発進。これには自分もギャラリーも少々びっくりな展開だった?かと思う。
目標は5位以内という感じだった。この1年はスプリント力に磨きをかけてきたとはいえ、全員で同時にもがいて1着を取るほどの自信はなかった。去年はレース中盤前後でアタックをかけまくってとんでもなく消耗し、結局逃げは決まらずに消耗した足で最後の集団スプリントに臨んで撃沈してタヒんだので、今年はヤバい逃げがいかない限りは集団待機を徹底することにした。そして、基本は集団スプリトでの5着以内狙い。スプリントの仕方も事前にイメージしてた。自分は長もがきが得意で、早駆けしても大きな失速はしないだろう、逆に加速に自信がないから捲りは250バンクの特性的にも避けたい、という考えのもと集団先頭付近から残り2周切ったあたりからもがき始めて、何人かにまくられるのは許容しつつ確実に5位以内を差し押さえようと考えていた。
オムニアムなので、1着を取ることよりも下位に沈むリスクを避ける方向性でどの種目も作戦を立てた。
他の種目もだけどブリジストンの3人と愛三のジョージを中心にマークし、そのほかの選手もマークしないわけではないが、このスクラッチ種目に関してはそのほかの選手が言ったらマークしてる4人が勝手に追うだろうから追わせて足を使わせようと考えた。
まあざっくり展開はブリジストン中心にアタックがかかって集団が何度か割れるけど結局逃げは決まらずに残り10周だった。レース中盤で集団が真っ二つになって後ろを置いていけそうな時があったけど、後ろに梅澤選手などが残っていたので結局くっついてしまった。でも足がない選手はそこでだいぶ消耗してくれたようで無駄ではなかった。
去年は残り10周で梅澤選手がスルッと抜け出して単独で逃げ切ったので、そのような動きが無いように気を配った。
もちろん、ワンチャンスにかけて逃げようとする選手がいるので自分でも足を使って徹底的に潰すor牽制する動きをした。残り10周切ってからは牽制かかってたこともあって、5番手以内からほぼ位置を下げてない気がする。
おかげさまで集団は牽制状態。前に位置取りしていたのでスプリントになるのは構わなかったが、牽制状態からのスプリントだと自分の苦手な加速勝負になりかねなかったので多少は集団が伸びた状態からスプリントしたかった。
自分が引いて集団を伸ばそうか、ほかの選手のアタックについて行こうか悩みながら飛び出す選手のアタックにチェックを入れ続けていると、京産の選手と2人で抜け出す形になり、そこに明治の選手が2人を引き連れてブリッジしてきた。残り3周での出来事。一旦その3人の隊列の間に入り、3番手で周回。後ろを見たら、ブリジストンが全員集団に残っていることもあって集団がお見合いしており、自分たちはコーナー分くらい抜け出す形になっていた。
かなり悩んだが、その隊列を維持することにした。明治の選手が交代せずに引き続けてくれたので、3番手という絶好のポジションで残り2周へ。
集団を横目に見ると差は縮まっていない上にまだもがき出してすらいない状態で、自分の野生の勘が騒いだ。残り1.5周でもがき出せば勝てると。
残り2周のバックストレートで身体が勝手に動き、5人の逃げ集団から抜け出していた。経験上、250バンクだと最高速でもがき続けることができるのは1.5周。今振り返ってみても、完璧に近いタイミングだったと思う。
明治の選手が番手をくっついていたらしいが、気が付かずにとりあえずゴールラインを真っ先に割ることだけを考えて無我夢中でもがき続けた。そして1着でゴールした。明治の選手の後ろは自分のアタックで粉砕されたようだった。

https://www.cyclowired.jp/media/441125
→シクロワイアードに名前取り上げてもらうのも最初で最後かも

良い滑り出しだった。もちろん、その後の種目でマークの対象になりかねないという意味では覚悟しなければならなかったが、精神的に余裕ができた。スクラッチで失敗した場合、ポイントレース手前の2種目は点を取り返そうと焦りが生まれるが、今回はスクラッチで得点をたくさん取ることができ(しかも有力選手の大半が後続の6位争い集団に取り残されたため、点差はかなり広がった)ために2種目目以降は点を守るという意味で気負いすぎずに出走することができた。
ポイントレースを除くと、ゴールラインを1着で割るって経験が久々で(しかもスプリントはロードとトラック含めて初めて?)、インカレということでたくさんのOB・OGの方や應援指導部の方がいる前でこうやって先頭でゴールすることができて感無量であった。正直な話、レース終わってないのにやり切った感満載だった。でも集中力は高めたまま保てていた。
もうここでブログを書きやめて美しい文章で終わらせたい気分である。まあ後輩のために続き書くけど。
ただ、スクラッチの反動は結構デカかった。
フルもがきしてる時間が長かったせいか酸欠気味になっていて、酸素マスクをレース直後に受け取ったがなかなか呼吸が整わなかった。ローラーでもしっかりダウンして呼吸を整えたが、胃が荒れていて、バナナとかゼリーですら食べてから逆流しそうになった。

テンポレース 8位
3P
足の消耗度的に一番失敗した種目かもしれない。
ここは比較的得意種目の部類に入るが、展開がハマらなかった時に大崩れしやすい種目でもあるので慎重に走ろうと思った。
とにかくスプリントで取りに行くのは効率が悪い種目なので逃げで安牌な作戦を取りたいと思っていた。
スクラッチで一位だったので先頭でスタート。
スタート直後は様子見で走る。ポイント周回がスタートしてからは、前の方にいなかったのでしばらくはポイントに絡めなかった。梅澤選手が行ったタイミングで追走かけたが、手前でほかの選手のブロックを受けてしまい、追走に出るのが遅れ、その影響で永遠に追いつけずに宙ぶらりんになって集団に戻った。
人を入れ替えながら、3人の逃げができた。自分は0pだったので、大人しく集団待機して彼らがラップしにきたタイミングでポイント取りに行こうと考えた。最低でも1pとれば一桁順位は取れるとの予想のもと、まずはなんとしても1pと神経をめぐらせた。逃げてる3人は強力だが、集団にも梅澤選手をはじめ有力選手が取り残されていたので焦りはほどほどだった。
そして3人がラップしにきたタイミングで自分を含めて複数名が攻撃に出た。朝日の選手が最初に勢いよく出てきたが、射程圏内だったので捲り切って1p、そこからもう1周粘って追加で1p。
そこで後ろから来た選手たちに合流。足が段違いの梅澤選手もいて大助かり、かと思いきやペースが速すぎて手前でもがいた自分はゼーゼーに。
展開書くのがめんどくさすぎて省略するが、早稲田の誠虎と梅澤選手の後ろでゼーゼーしながら、最後は自分たちがラップすることを恐れてペースアップした集団を捉えきれずにゴールした。ラップできていればジャンプアップできたので少々勿体無い。
自分の得点は把握していたが他選手の得点を把握できておらず、同じ3pの選手が自分以外に3人もいるなんて思ってもおらず、最後の着順争いをもっと丁寧にこなすべきであったと後悔。3pの選手の中で自分はビリだったので、最上位取れてれば6pを加算できていた。とはいえ手前で体力をほぼ使い切っていたし、あの混沌とした状況で誰と競り合うべきかを判断するのは厳しかったので、ここは仕方ない部分だったかもしれない。

スクラッチは自分、テンポレースはGeorgeが1位と、ブリジストン勢を抑えて4年筋が発揮されまくっている。
エリミネーション 8位
鬼門の種目。実力があっても気を抜くと下位に追い込まれてしまう種目。自分はテクニクに自信がなかったので、この種目はそこまで上位を目指さずに下位を免れる形で走ることを目標にした。最低一桁、あわよくば5位以内を目指す作戦。
今までとの大きな違いは、暫定が2位だったので前でスタートできたこと。ただ1位か3位なら壁から勢いつけてスタートできたのでインスタートになってしまったのは少々残念。エリミネーションはなぜかいつもインスタートだったなあと振り返ると感じる。
多少足使って前張っても良いので際どい位置取りは避けようと考えていた。
スタートしてから予定通り前を張り始めたが、思ったよりも前張りたい選手が多くて少し後退してスタート。そしたらエリミネート開始前にジョージが挟まれて落車したらしくニュートラルに。ただスタートした直後で人数が多いこともあってバンクを降りることも再スタートになることもなく、そのまま速いペースでレースが進み、ジョージが戻ってくるまでの時間が地味にキツかった。
かなり外側回る時間が長くて非効率ではあったが、効率ではなくてリスク軽減を重視していたので、これは仕方ない。余談だが、幅狭いハンドルは間すり抜ける上では有効なので、オムニアム走る子は狭いハンドル使うと良いかもしれない。僕はハンドル幅広いしツノでもなくて操作性が悪かったので、横の動きが怖かった。
残りが12,3 人になった頃であろうか、一旦先頭に出た。引き続けられるだけ安全な位置で引くことにした。もちろん消耗はするが、後ろがカオスすぎてオアシスだった。インの前から2番手は梅澤選手がきっちり抑えてて、やはり位置取りも上手いと言えるレベルじゃないとオムニアムで優勝するのは厳しいのだと思い知らされた。
徐々にキツくなり、除外周回で外から人が被せてきた。後退した。エリミネートされはしなかったので、少しホッとして、完全に後ろに押し出されたら外から回って捲り返そうかと思った。
その矢先に後ろで鈍い音。どうやら行き場をなくした2人が接触した?か何かで落車したようだった。
自分はなんとか耐えた、でもまたニュートラルか、そんなことを考えたら朝日の選手がスプリンターレーンを走っている自分の内側に突っ込んできてそのまま落車した。おそらくブルーバンドの角に引っかかったのだろうか。
落車した瞬間は今でも鮮明に覚えている。その選手が外側に外側に飛んで来てしまい、真横を走る自分の下に潜り込んで来てしまったので避けようがなくそのまま落車した。久々に250の地面を滑る景色を見た。ザザーっと路面を滑る鈍い音が今でも残ってる。
痛かった。特に背中が。すごく鈍い痛みが走ってすぐには立てなかった。

どうやらこのタイミングでシートポストを踏まれたようで、シートポストが粉砕(買い換えました、6万円以上しました🥲)、アルゴンが走れない状態になった。
そして、背中から着地したので骨折などはなかったものの、背中がだいぶ痛かった。あとで知ったことだが、背中にバンクの棘がたくさん刺さっていて、特に3本太くて長い棘が深く刺さっており、これがおそらく原因だった。立ち上がれなかったのはこの痛みと直前に前張って息がだいぶ上がってた状態からいきなりストップされたから。
擦過傷もあったのでヒリヒリ系の痛みもありつつ、ただ打ち身ともまた違う謎の痛みの原因はおそらく棘だったのだろう。

なんとか立ち上がった。少しクラクラした気がする。痛くて寝っ転がってる間に聞いた髙島の「サドルが無くなってる!」って声でアルゴンが乗れない状態であるのは把握していた。
代車で用意されてた吉村にサーベロに乗る。しかしながら、速度に乗せようとダンシングした瞬間にペダルが外れた。自分には緩すぎた(吉村は普通に使ってたらしい)ようで、ダンシングが怖くてできなかった。身体も痛くて最後まで残るのは厳しそうなので、先頭張って3,4人落ちてからエリミネートされることを目標にした。
自分の他に落車した選手も集団に復帰して再スタート。一気に先頭に出て、持つところまで頑張ろうと踏んでたらトラブル。サドルが一気にガツンと前に落ちた。前からこのT4は年代物でヤグラが少々消耗していたのだが、不運にもこのタイミングでサドルのクランプが緩んで落ちてしまったようだった。代車はインフィールドで乗った程度で、バンクとかは走らせていなかった(普通は走らせないけど)。準備の差が出た。
すごく前のめりになってしまい、走行不能になって1人エリミネートされた段階で踏みやめた。
自分の落車の原因になった選手は、ブルーバンドに突っ込んだことに対して警告が出てた。タイミングがタイミングだったのでかなりフラストレーションが溜まっててイライラしてた。

ポイントレース 6位
5p獲得、暫定5位スタート、最終順位6位97p
満身創痍だった。力を振り絞った。
エリミネーションのレース後は怪我の影響でまともにダウンができず(まあ落車して身体が強制ストップされたのでダウンもクソもないが)、補給だけ軽く取ってそのまま医務室に行った。
大きな棘は抜いてもらったが、小さなものはたくさん刺さっており、マネージャーと吉村に時間ギリギリまで抜いてもらった。結局、数が多すぎて抜ききれない&ジャージにもたくさん刺さってるってことで、布を間に挟んで出走することにした。
ヘルメットにかすり傷ができていた。頭を打った記憶はないが、首も鞭打ちになっていたし多少はかすってたのかもしれない(ヘルメットはコンパウンドで後日消えるレベルの傷だったけど)。
医務室では頭は打ってないですの一点張り。りさこが気を利かせてヘルメットを持ってきてくれたが、自分はできるだけヘルメットについては触れないようにしていた。脳震盪の疑いあり→出走できません、となる最悪の展開を避けたかった。実際に同時に落車した選手の1人が脳震盪があるとのことでリタイヤしてた。自分は身体も動くし、なんとしてもポイントレースに出走して自分の使命を全うするつもりだった。来年以降に似たような事案があった場合は、選手の脳震盪がひどそうとかでない限りヘルメットは下手に提出すべきではないと思う。特にオムニアムのように次の種目が控えている場合は。
また、シートポストが粉砕されてアルゴンが使用不可能に。それを見かねた早稲田の大仲がシートポストを貸してくれた。サーベロで走れないこともなかったが、自分のバイクが使えるに越したことはない。シートポスト貸してくれた大仲には感謝してもし切れない。
機材整備は機材サポート係の寺田や髙島だけでなく、そのほかの部員やOBの方(特に元アルゴンオーナーの山田さん)総出でアルゴン、サーベロを走れる状態にしていただいた。
自分は棘抜きを待っている間に内臓が受け付ける分だけ食事をとった。前半種目は胃が荒れていて、後半種目もそれは変わらなかったがエネルギー枯渇の方が深刻だったおかげで団子などの固形物も入れることができた。

近年の中では最も接戦の状態でスタートだったと思う。自分は暫定5位だったが1位とたったの8p差。逆に8位の選手までも12pとしかなく、逆転も可能だし、逆転される可能性も大いにあるというシビアなポイントレース。世界で戦える選手もいる中でここまで接戦なのは中々だと思う。その状況下でボロボロな状態でスタート。
とにかく自分の近辺の順位の選手にラップされることを避けようとしていた。ポイントは取られても仕方ないスタイルで、必要に応じてもがきに行って取ろうと考えていた。ラップの動きも体の状態が状態なので人に合わせるスタイルで。
エリミネーションでダウンできていないせいか、序盤から動きが悪い。まあ単純な疲労もあったのだろう。
最初の方はバラバラと他の選手がもがきに行って、いつの間にか梅澤選手とジョージという有力選手かつ自分とポイントを競っている選手たちが逃げていた。
やらかしたら、足がすでにキツくて逆に一旦展開を落ち着かせて欲しいと思っていた。今だから言えるが、走る前はもちろん優勝も狙っていたが、走り出してから落車での身体のダメージがやはり誤魔化せないのを感じて、表彰台狙いに切り替えていた。
その2人の逃げはポイントを乱獲してから戻ってくるつもりだったようで、レース終盤まで戻ってこなかった。そこに朝日の選手もついていっていたが、途中で集団まで落ちてきた。
自分たちの集団は下位の選手たちが早々に千切れて周回遅れになった後にレースを下され、いつの間にか10人ほどの小さな集団になっていた。それでローテが綺麗に回っていたのでペースはずっと速かった。
途中で集団の先頭が1p取れることに気がついた。他の選手が気がついていなかったこと、ローテの順番の問題でありがたく3回も先頭通過させてもらって3pを獲得した。結果論ではあるが、この3pのおかげで7位の選手に抜かれずに済んだ。
もう限界だった。キツすぎてその先は何も覚えてない。他の選手も相当足に来ていてと思う走りだった。自分も足に来ていて上、レース中盤に太ももを軽く攣ってしまい、アタックなどの高強度が出せない状態になった。攣りは徐々にひどくなり、最後の方は誤魔化しながらアタックをしていた。
逃げていた2人にラップされてから再び攻撃が始まった。もうもがける足の状態ではなく、ダンシングした瞬間に確実に足が攣るであろう兆候があった。ただ2人がラップしたことで先頭は5p取れる状態になってしまい、早稲田の誠虎に取られた時点で逆転されてしまう。なんとかポイントを取れるタイミングを探し、残り10周のポイント周回に向けて捨て身のアタック。

最後の最後で2人に捲られてしまったが、なんとか3着に残り2pゲット。
その先も諦めずに先頭にくらいつていたが、太ももがブチブチになっていて限界だった。完走者最後尾でゴール。

総括
結果的に表彰台には届かなかった。幸先の良いスタートを切ったが、やはり世の中は甘くはなく、ここに至るまでの道も、レース中も、最後の最後まで試練の連続だった。学連のトラックレースでの初落車がまさか最後のインカレとはね。
でも、もう走ることはないだろうけどオムニアムが少しは好きになったかもしれない。初めてオムニアムが少し楽しく感じた。
インカレっていう重圧がかかる舞台、部活関係者及び應援指導部の方々の応援、サポートがなければボロボロになりながら気持ちを切らさずに最後まで戦うこともできなかったとは思う。全てに感謝です。
最後に、
僕は最後までポイントレーサーを貫くけど、オムニが強い選手の方がカッコ良いと思う。来年以降に走る後輩は、ぜひポイントレーサーやパシューター、ではなくオムニアムの選手を目指してほしい。最強の中長距離選手と呼ぶに相応しいから。




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