失って初めて気づいたそのかけがえのなさに哀歌をこめて、いま・この瞬間のグルーヴに愛をこめてほしいのですが
深夜2時に目が覚める。
夢を見ていたようだ。夢の余韻の多幸感が残っていて、夢と現実の境界は曖昧になっていた。
ボクは中学に入学したばかりの二週間について考えていた。あの不思議なモラトリアムな時間について、ボクは今まで何度も考えてきたし、これからも考えざるを得なくなるんだと思う。これはきっと夢の延長なんだ。
あの二週間は部活がまだ始まっていなくて放課後にぽっかりと空いた時間があった。
ボクたちはおしゃべりだった。ボクたちはおしゃべりだったし、なによりも純粋だったと思う。あの女の子二人と話した二週間が自分にとっていろんな意味があったのだ、と後々になって再発見するのだ。
大学にはいろんな女性がいて、その都度その都度におしゃべりがある。その人の個性と“ある程度”において向き合うとき、この際限なき試行の根底の一つに、あの二週間が刻まれているのを深いレベルで感じる。
それが呪縛のように感じなくもなかった。なぜなら純粋さというのは傷つきやすいから。会話は純然たるおしゃべりとして発露せず、計算や駆け引きの舞台となるから。この人は会話テクニックを模倣して話しているに過ぎないから。
別に興味ないな~、素直になりたいな~、素直になろうよー、ぷしゅぅぅ~、ってボクは会話から一歩引き、そして炭酸水を飲むのである。
不発弾処理員は炭酸水をこっそり教室で開けませうぷしゅ*しゅわしゅわ**
中野裕友
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