2023インカレIP

2023/08/24 インカレIP 9

僕はこの種目が大好きなので、2020年から振り返ることにする。

僕はもともと、TPを走りたくてトラックを始めた。そして、その中で必要になる要素の一つとしてIPがあった。だから、とりあえずメンバーに選ばれるためにはIP速くならないとな〜くらいにしか考えていなかった。

しかし、今でも覚えているが、毎年恒例の宇佐美監督とのスタバ面談で、「岳は背も大きいし、IPやったら伸びると思うけどな〜」という言葉を鵜呑みにして、僕のIP競技生活は始まった。

2年練習練輪で54秒、5月のTRS47秒、全学で42秒で自身初の全国入賞、インカレで36秒、7位。走る度にタイムが伸び、有名選手とも4kmでなら渡り合える感覚が最高に気持ちよくて、嬉しくて、僕はこの種目で4年のインカレまで戦おうと決めた。

さらに幸運なことに、この種目は自分の性格にもフィットしていた。他者に影響されずに、淡々と自分の予定していたペースを刻み、頭の中で設計した通りの走りをする。高校時代に、サイコンがない中でヒルクライムをしていた感覚とも似ていて、自分にピッタリな種目だと思った。

そして2年目。

特段IPに向けた練習は行わなかったと記憶していて、ロードの延長線上の準備しかしていなかった。ただ、フォームを改善し、5分走のマックスパワーを向上させることに注力していた。この年は、東日本で425位?、全学で3610位、インカレで38(根占タイム)4位だった。タイム的には棚ぼたの4位だったが、2021年と大幅に出場メンバーが変わり、翌年もほぼ同じメンバーでの争いになると予想されたため、2022年に期待を持てる結果だった。

そして最後の1年はIPでの優勝、少なくとも表彰台を狙って練習を行った。2年間の経験から、IPに必要な要素と、自分の弱点を強化することをメインに大前さんと練習メニューを練った。

まず、IPに必要な要素を自分の中でざっくりと分解したところ、おおよそ以下の6つくらいになると考えた。

①重いギアを踏む上半身も含めた全身の筋力

100-110回転を5分回し切る回転力

③単純な5分マックスパワー

④ペーシング

⑤踏みやすく空力の良いフォーム

⑥機材

①については週に12回のウエイト、2週間に一回のSFRを取り入れた。特に上半身の安定感が増したため、フォームの改善にもつながった。後述するが、手の置き方の変更に繋がった。

②冬のバンクに入る回数が減る時期はワットバイクでのメニューを増やし、週2回ほどはワットバイクに乗った(就活もあったため、時短の意味もあったが)。メニューをやる上では、ワットももちろん大事なのだが、どちらかというと1-3月にかけては回転数の変化を見るようにした。

③週に1回以上のVo2への刺激入れ。メニューの内容は様々だが、毎週同じようなメニューにならないようには気をつけた(気をつけてもらった)。メニューについてはここに載せたくないので聞いてください。

④他大選手のラップを眺めたりもしたが、結果的に自分のペーシングは、0-1000で稼ぎ、1000-3000で耐えて、同じペースで3000-4000も耐えるというのがしっくりきた。また、このペーシングの方が調子に左右されず、毎試合のタイムが安定するということに気づいた。0-3000まで巡航を一定にして、3000-4000で垂れる又は上げ直すという選手も多いが、自分は、1周のラップタイムを上げることができなかったため、1kmで稼いだ分を落とさないという戦法を取っていた。運良く垂れない脚質だったのでこれがしっくりきた。

⑤空力の良いフォームよりも踏みやすいフォームを意識した。そこには一応個人的な理由があって、おそらく5分パワーで他選手より劣っていることは無さそうであること(ほぼ同等か、せいぜい3-5%以内という予想、あくまでも予想であるので正しかったかは知らん)、一部選手を除いてめちゃくちゃ空力が良い(良さそうな)選手がいなかったこと(ただ年々学連選手のフォームは改善されている)、機材の面からフォームには限界があったことなどが挙げられる。もちろん、踏みやすくて空力のいいポジションを出すのがベストではあるが、空力を数値化するにはハードルが高いこともあり、どちらかというと踏みやすいポジションでセッティングした。

⑥これに関しては全く拘れなかったと言っても過言ではない。せいぜいミストラルのヘルメットくらいであろうか。DHバーやブルホーンは金銭的ハードルがかなり高い上に、合わなかった時のことを考えるとあまり購入意欲が湧かなかった。また、自分の中でなんとなく、機材に頼るのは最後と決めていた部分もあり、詰めれなかった。そりゃ大金を持ち合わせてればとも思うが、土日に全体練後に17-24時で働いた一年生の時の体力は消失していた。ただ、機材確保についてはもっとやり方はあったかも知れないとは思う。自分はメルカリの通知をひたすら待つくらいしかやらなかった。

以上が最後の一年間主に力を入れたこと、入れられなかったことである。もちろん前提にはロード練習があることは言うまでもない。余談だが、学連のIP選手は総じてロードも走れる選手が多く、IPしか速くないです〜という選手はいないということをお伝えしておく。

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去年の国体終了後に小オフを取り、そこからはほぼ大きなオフは無しで5月の東日本を迎えた。①の筋力の向上によって、ポジションを昨年のインカレから変更して、手を重ねられるようにした。②③のおかげもあり、春にしてはVo2も高く、ここで自己ベストを更新した。34秒。成長度合いとしては、かなり理想通りで、夏にかけて上げていき、全学で30秒切り、インカレで25秒付近を出すという、予定通りでもあった。

この結果を受けて、練習メニューやポジションの変更はせず、ベロに慣れておく事だけを追加した。無事に6月には就活も終え、7月の全学に向けては最高の準備、自己最高の脚の状態で試合を迎えることができた。30秒を切ることはほぼ確実な状態で、やっと表彰台に乗れるかもしれないという気持ちで、すごくワクワクしていた事を思い出す。

しかし一方で、インカレで表彰台に上がるためには、全学で30秒切ることと表彰台に乗ることはマストであり、それが自分にとってものすごいプレッシャーになってしまった。普段、レースに向かう時は緊張とリラックスが半分ずつくらいになるように調整しているのだが、明らかに緊張し過ぎてしまった。レース5分前に嘔吐し、タイムも36秒。ここで自分の年間計画の予定が大きく狂ってしまった。

IPにおいて脳内でのイメージはすごく重要だと思っていて、その中での全学の失敗は自分にとって大きすぎる失敗であった。

その失敗を払拭するために、エントリー予定のなかった8月のTRSに出場する事を決めたが、7月中旬に扁桃炎により10日間寝込んでしまい、このTRSも失敗に終わった。

扁桃炎後はなかなか調子を上げることができず、(これはインカレが終わった後からだから言うが、)自分の中では着実に56位を狙っていくタイム設定に切り替えた。ただ、これは、置きに行ったわけでも上位を狙うのを諦めたわけでもなかった。IPTTは他選手の調子に順位は左右されるが、自分のタイム自体にワンチャンはほぼ期待できない。その種目を始めて数ヶ月ならまだしも、2年以上続けていたIPでのワンちゃんがないことは明らかである。だからこそ、自分が出せる最大のタイムを36-39秒程度だろうと考え、ラップタイムの設定を行った。

_________

以下当日の話。

TPの結果が良く、脚もメンタルも調子も安定していたので予定通りの計画で出走する事を決めた。TPからも時間が空いたので、ほぼいつも通りにアップを終えて、スタートへ。

IP

23.255

16.258

16.159

16.377

16.802

16.845

16.992

17.115

17.135

17.441

17.482

17.684

17.729

17.905

17.890

17.516

4’40.585(平田手元)

後半、残り7周から27.4に乗せてしまった。タレタレで40秒、9位だった。

走り終わった後は、悔しいという気持ちはあまり無くて、ただただ最後のIPが終わってしまったなと思った。結局目標の順位も取れずタイムも出すことはできず、こんなにも呆気なく終わってしまうのかと思った。去年一昨年と慶應の対抗ポイントの柱となっていたのは自分のIPで、今年も自分がIPで稼がなきゃという気持ちはものすごく強かった。それなのに、1点も獲得できなかったことに、今でも自分に対して怒りが収まらない。全部終わった今、自分がポイントを取っていればと何度も何度も悔しい気持ちになる。

ミーティングでも話したが、4年生だからと言って全てがうまくいくわけではない。うまくいっていたことが突然崩れることも、逆に、状況が急激に良い方向へと進むこともある。

でもそれがいつどのタイミングで訪れるかは誰にもわからないわけで、粘り強く練習を重ねるしかないのだろうなと思う。これもミーティングで話したが、大きな壁には早くぶつかっていた方がいいと思う。自分の大きな壁は30秒を切ることで、その大きな壁に当たったのは3年生の夏頃だった。その壁をもっと前倒しできていれば、今年のインカレの結果は違ったのかもしれない。だからこそ、今の下級生には12年生でたくさんの経験を積むことをとても大切にしてほしい。

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ネガティブなブログになってきたので、話を少し変えると、自分はIPという種目を頑張れて良かったなと思う。宇佐美監督には特大の感謝である。結局、この4年間でIPで表彰台に乗ることは一度も無かったけれど、何枚も賞状をもらえたし、何よりも独走に自信がついた。3年時の神宮や白馬での逃げはIPあってこそだったと思う。

そして最後に。平田は毎回タイム読みをしてくれてありがとう。初期はなんとなくタイムを読んでもらうだけだったけど、回数を重ねるごとに色々要求を増やしました。それにしっかりと答えてくれてありがとう。去年のインカレブログで、来年のインカレでは優勝して一緒に写真を撮りたいと書いたくせに、こんな結果になってしまってごめんね。本当は結果で恩返ししたかったです。

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IPに関することであれば、ある程度の事は伝えることができると思います。もし何か行き詰まった時にはいつでも相談ください。そして僕が超えられなかった30秒の壁を超えてください。

以上です。

ps.畑さん、3年間もサーベロをお貸しいただき本当にありがとうございました。奇跡的に無傷です。

残りブログ数、3

ポジションも色々変わってます↓

初試合。Youtubeから切り取り。ベルのヘルメットが懐かしい。
2年インカレ。土砂降りでの出走。対戦はインカレロード優勝した谷内さん。
3年東日本
3年インカレ、頭の位置が下がった。
手を重ねるポジションに変更、ベストタイム
4年インカレ。筋力を失いポジション変更。

六川写真上手す

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