2023 インカレ ロードレース

インカレブログに使う集合写真、どのバージョンを使うかで個性出ますよね。あと、人の名前を羅列するときの順番も、個性出ますよね。50音順派です。

引退ブログを書いていなくてすみません。書きます。本当は年内のつもりでした、、、


インカレトラックが終わってからロードまでの間に立教の中島+川野山田西村六川健三中谷と、サポートの智也と清水と富士五湖のほうの西湖で練習した。

最後の本番想定練習ということで、いい練習ができた。川野が強いことを確認し、自分もそこそこ踏めてるかなあという感じ。あと、山田も最後の気合がなかなかだった。

こういった日帰り練習は今後の部でも取り入れてもいいんじゃないかなあと思う。

TPで刺激が入ったのか西湖練前日に4分走のセグメントでもPBを更新しており、インカレロードに向けて例年よりいい気持ちで向かうことができていた。


9/1から長野入りして調整。いつもは松本に泊まるので、長野駅の雰囲気は新鮮だった。

長野入りの少し前あたりから、体調が悪くなりだした。岳も体調が悪そうだったので、インカレでうつしてしまったに違いない、と思った。

西湖に一緒に行ったメンバーにも移していないかとっても心配で、でもきっと自分が聞いてもみんな気を使って答えるんだろうなと思うと聞くに聞けなかった。

はからずも、長野駅の鎌倉パスタは一生の思い出になりそうです。

自分は薬を飲んで(ドーピングには引っかからないもの)とにかく安静にして、熱も落ちついてきたので前日にちょっと乗って最終調整。ゼッケンは自分で貼った。普通に体調不良なので、誰かに貼ってもらうつもりはなかった。

宿の近くのセブンで黒糖わらびを大量に買ったらおまけでレトルトカレーをもらった。


2023/09/03

インカレロード@美麻

朝は時間どおりに起きて朝食を食べた。緊張なのか体調不良なのかは分からないがあまり食欲はなかった。なのでコンビニで買った食べ物とわらびでエネルギー補充した。

石井さんの別荘に泊まって大量にうどんを食べた個人ロードから、長距離レースはできるだけうどん、麺類を食べるのが自分の中での決まりだった。

気温はそこまで低くなかったのと、パレード走行が長めなこともあってそこまで入念なアップはせずにスタートラインについた。

リアルスタート前に再整列されて、隣に並んだ選手とは来年どこで走るの?今年のインカレは去年みたく怪我したくないなーなんて話してスタートした。


いきなり8名ほどの逃げができた。あとから知ったけど、3人が先行してそれに5人がジョインした形。

逃げの中に日大の3人や天野がいることは把握したが、チームのために自分からは動けなかった。自分が逃げに乗って慶應優位に進めることもできたかもしれないけど、結局は自分のために走りたいし、おそらく自分が最後まで残ることが大学対抗の順位を上げるには必要だと考えた。

はじめから自分の調子では集団にしがみついてゴール勝負にかけるしかないと決めていたから、逃げに乗れるような位置にはいなかった。

というのも、美麻のコースは川野が書いている通り補給前と細い道以外で前に出るメリットは脚へのダメージという観点ではあまりないと感じたから。基本的に流れるし広島のように道がくねくねしているわけでもないので、前に出ようと思えば割と簡単に出られる状況だった。基本的には上記の2つで位置を上げつつ周回をこなしたが、はじめからもっと前に上がるべきであった。特に細い道では10番手以内くらいまで上がらないとどこにいてもインターバルがかかって脚が削れた。

また、補給所の上りは気温が上がってきたからかかなりカオスで、集団先頭から順に補給を取っていくわけなので、坂の下の方で補給を取ろうとすると前のしわ寄せが来てかなり減速する羽目になる。はじめは律儀に下で補給を取っていたが、下側で補給を取っている列をすっと抜かして上の方で補給を取るのが楽なことに気づき、中盤あたりに上の方で補給取ると伝達に伝えた。


慶應から逃げに乗ったのは0だったので、おそらく他校任せの展開になることは覚悟していた。途中、細い道のあとの長い登りでなんか速くないかと思ったら、大前さんが先頭を引いていた。前日の作戦会議通りの動きをしているということはわかったが、逃げに乗せていない他校が牽引する様子はなく、かといって慶應のメンバーで回す力もなく、ひとまず逃げの人数が減るのを待つしかないのかな、と思っていた。


天気予報で把握はしていたが予想以上に気温が高くなってきて、毎周のように氷嚢つきのボトルを渡してもらった。そのおかげで暑さが理由でどうにかなるようなことはなかった。

もちろん今後もっと良くなっていくことはわかっているけど今年のインカレロードのサポートは自分たちの最後に相応しいクオリティだったと思う。

もちろん、突き詰めればきりがないのは選手もマネージャーも同じだし、レースが始まってからじゃないとわからないことも多いけど、ストレスなくレースができたのはマネージャーとサポート選手たちのおかげ。ありがとうございました。


ちょうど半分くらい距離を消化したところでブリッジが発生し最終的にここにタダ乗り?できた日大の選手が優勝した。

ここでも、自分はブリッジに乗れる位置にはおらず伝達から誰が行ったのか聞くのみだった。逃げとのタイム差は2分前後だったはずだがすんなり追いついていて、脚のあるメンバーだということは知っていたけどすこし驚いた。

追走が速いのか逃げが脚を溜めているのかもう脚がないのか。

終盤、逃げからこぼれる選手が出てきて、鹿屋京産あたりの牽引で集団のペースが上がったり日大が抑えたりという動きが強まってきた。自分はこのタイミングでやっと前に出た。

このあたりから補給所でのペースアップが活発になり、暑くてどうしても補給を取りたい自分としてはきつい。毎回補給をとってもがいて、というのが続きラスト4周辺りから一気に脚がなくなり始める。

しかし、あの上りでは応援してくれる人がたくさんいて、そこでちぎれる気はしなかった。

よく見える位置にいた小原さんたちの応援が心強かったです。

ラスト3周も2周も補給所の上り終わりで中切れが起きてきつかった。ただ、ここを乗り切ればあと1周だと言い聞かせてぎりぎり耐えた。

でも、ラスト2周の細道後の上りで急に脚が止まってちぎれた。自分でもよく分からなかった。ハンガーノックでもないし心拍が上がり切っていたわけでもないし、初めての感覚だった。それもそのはず、インカレロードが人生最長時間のレースだった。

Jproだったり海外だったりもっとレベルの高いレースにチャレンジできていたら結果は変わっていたのかもしれないなと思うとともに、部活という範囲内でももっとできることはあったな、と思う。


ちぎれてからは、とにかくペースで踏んで完走しなければいけないということはわかっていた。前から落ちてきた選手を回収しつつ、自分のいけるペースで、止まらないように走ることだけ考えた。川野と大前さんがいい順位を取ってくれることを願うしかなく、とくにもうレース展開について考えることもないので、色々なことが頭の中をぐるぐるしていた。


沿道にいる伝達、補給係や、わざわざ長野まで駆けつけてくださったOBOGを見て、もうこんなに沢山の人に応援されてレースを走ることはないのかと寂しくなった。いつでも、みんなに千切れた姿は見せたくなかったなあ。

最後に残った川野と大前さんを見て、結局、この二人には勝てなかったな、勝てるはずがなかったなとも思った。

英俊の最後の伝達のメッセージが良かった。

ゴール直前の上りでは智也と平田と山田と野中も応援してくれて、ちょっと踏めた。

岳には最後までなかなかに迷惑かけたな、家の網戸からはじまって今まで。


最後のロードレースは、「ロードレース」って感じのコースで楽しかった。

高校の頃、レースは修善寺ばかりだったので初めて島根の全日本選手権のコースで試走したとき、自然の壮大さ(と交通量の少なさ)に感動した。

高3の沖縄のコースも、去年の鹿児島のコースも好きだった。

だからこそ、最初はバンクをぐるぐる回るだけのトラック競技は好きになれなかった。

いまは、トラックのロードにはない色々な魅力がわかってきてどちらも好きだけど、やっぱり自分はロードレースを走りたくて自転車競技をやっていた。

景色とかはもちろんだけど、無数に存在する戦略のパターンとか、その戦略を潰してしまうほどの個のパワーとか、色々ひっくるめて面白いスポーツだと思う。見るのも面白いし、走るのもきついけど意外と面白い。


ゴール後は、前二人の順位と、学校対抗順位の近い学校の選手の順位ばかり気になった。千切れた時点で集団に20人くらい残っていたことは把握していたので、ポイント圏外の自分の順位はなんでもよかった。

学校対抗の順位は最後の最後まで分からなかったけど、結局ダメだった。最後のレース後ミーティングで宇佐美さんからみんなよくやった的なことを言われたとき、自分の中ではとてつもなく悔しかった。そのみんなの中には自分はいないと、咄嗟にそう思ってしまった。他のみなさんは、インカレメンバーもサポートも、みんながよくやったと本当に言ってくれているのだと思う。入賞者がいて完走も3人なんて、近年稀にみる好成績だったはずだ。でも、自分ではそうは思えなかった。

あと5点、トラックでもロードでも自分の出場種目で十分カバーできたはず。でもそれは去年自分で点を取れている岳のほうが強く思っているのだろう。

TSPをもう一回やり直したいとか時々思うけど、TSPで入賞できている世界線ではTPで他大が崩壊していなくて入賞すらできていない可能性もあるなとも思ったりする。

結局のところこれがチームの総合力なのかもなと思うけど、やっぱりもっといけたと思う気持ちのほうが強い。


もともと自分は一般的な大学生が最高のコンディションで出られるレースは3年のインカレだと思いこんでいたから、4年生のインカレはアディショナルタイムだなんて考えていた。

でも結局、チャンスが残されているなら掴みにいきたくなってしまうもので、来季の目標をインカレ総合入賞と決めたからにはやるしかなかった。それを後押ししてくれたのは共に頑張る同期の存在だったと思う。

自分は良くも悪くも周りに影響されやすいタイプなので、ストイックに目標に向けて頑張っている人が周りにいてくれて本当に良かったと思う。大学の体育会だから当たり前のことかもしれないけど、これまでの人生では共に目標を共有してそれぞれが頑張る、みたいな環境でスポーツをしたことがなかった自分にとっては今の環境が素晴らしいものだった。

だから引退してからなんだか物足りなさを感じているのだと思う。


就活という割と人生がかかっていると言っても過言ではないイベントと部活、その2つを天秤にかけたとき、就活を取る人も少なくないと思う。特に自転車競技は時間が膨大にかかるスポーツだということを、これを読んでいる人は知っていると思う。実際のところ自分も胸を張って両立できていたとは言えない。

でも、川野や岳が練習しているのに自分が練習していないのはどうしてもイヤだったので館山合宿にも行ったし、団抜きメンとして当たり前かもしれないが一日潰れるようなバンク練にも参加した。それによってさまざまな機会を犠牲にしたかもしれない。でも、それがなければ神宮優勝もTP記録更新もなかったかもしれないので、そうしてよかったと確信している。


結局、周りに恵まれていた。今後もそうであってほしい。他力本願ですね。

今回はここまで。

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