引退ブログ

引退ブログが一番最後?の大トリみたいになってしまいすみません。どうにかして最後を飾ってやろう、なんて気持ちは全くなく、ただただことを後回しにしていただけであり、今流行りのADHDということで、勘弁してください。(ワイがADHD界の先駆者や!)

ダラダラ書いても仕方がないので、重要なこと、できれば後輩に読んで欲しいところを、短めに書きます。

導入はなんか書いていたら懐かしくなったので、少し長めに。

僕は1年生の10月にこの部活に入った。ちょうどその何日か後に平田が入ったのかな?当時はコロナウイルスが猛威を振いまくっていた時期で、基本ステイホーム。3密回避。不要不急の外出は禁止。

話はそれるが、ほぼ全ての授業がリモートワークで、僕は大学生活を通じて、結局クラスの人と一回も会う機会がなかった。すでにコミュニティに所属している上級生や、大人、中高生が活動を再開する中で、僕たち大学1年生は、どこか取り残されているようで、孤独感と閉塞感、先行きの見えないもどかしさを感じていたと思う。

だからこそ、「何か始めたい」始まりはそんなことだった気がするし、普通は自転車が元々好きだったり、乗っていたりする人が初心者として入ってくることが多いと思うけど、僕は自転車に思い入れがあるわけでもなかった。だから直感的に決めた部分は大きい。(直感、結構センスあるんじゃね?)自転車に関する思い出で覚えているのは、近所の坂をトップギアで表情を変えずに登ることがかっこいいと思っていたことと、小学生?の頃自転車の試乗でフルブレーキにより宙を一回転したこと、くらいだと思う。(落車のダイゴの伏線?)ちなみに購入後だったので、良かった。

当時は、チャリ部かフェンシング部で迷っていた。フェンシングは、色々調べていたらやっぱり腕が短くてリーチで負けそうという理由で、誰も呼んでないのに、勝手に連絡をとって、勝手に辞退の連絡を送った。冷やかしみたいで、すみませんでした。

最初にチャリ部で会った人は一個上の直さん。多分、ラインのプロフィールが、あの時から変わっていない数少ない人の一人だと思う。とにかくめちゃくちゃ優しくて真面目に対応してくれたので、速攻で入部を決めた。その日あった他の部員は川野だけ。まあ川野は正直怖かったし、俺の人生の中で、苦手な人の組み分け表があるなら、Tier1に分類される第一印象だった(今はそんなことないよ♡)。正直な話、自転車部というと、小野田坂道みたいなやつを想定していたので、イケイケでムキムキのやつがいてびっくりした。

高橋は、かなり小野田坂道の再現性が高いと思う。

初めて買ったロードバイクは、ハートビューで買ったFOCUS イザルコレース。ハートビューの平野さんには、学生価格(ほとんどボランティアのような価格)で買わせてもらい、大変お世話なった。今度諸々お礼を言いにいきたい。で、セッティングの時、僕の身長に合う自転車を持ってきてくれたが、脚が短すぎて、いくらサドルを下げても、なかなかポジションが合わず。平野さんも怪訝な顔をしていた。こうして考えると、足が短かったり、身長が短かったりすることのメリットってマジでない。あるとしたら、飛行機のエコノミーで足を折りたためること。あとは、マジでリベロとか忍者くらい。

↓のちに展開される、短足-足長論争。

佐藤家には、僕とガクが本当に険悪な関係にうつってしまったらしく、大変恥ずかしかった。その節は申し訳ございませんでした。でも、彼の顎はとてもセクシーだと思うので、気落ちしないでください。

で、話を戻すと、最初は1ヶ月ずっと3本ローラーで地道な練習を続けていた。コミュ障だったので、どこで辞めていいいかわからず、ずっと3本ローラーを黙々と取り組まされていた。もしかしたら、自転車のじの字もわからない無口な少年が急に入部を決めたのを不審に思い、何かを自白させられようとしていたのかもしれない。

ただこの拷問をしっかりとこなしたおかげで、ものすごくピストローラー・手離し・超低速練が上手くなった。自転車競技の基礎を固める期間として、あの期間はとても大切だったと思う。

初めて外に出たのは、日吉練。多賀谷さんや石井さん、宇佐美監督と川崎の交通量の多い通りを一緒に走った。今だから言えるが、正直、全然楽しくなかった(笑)。若干入部を後悔していた記憶がある。なんか想像していたよりも自分は遅いし(練習していないから当たり前なのだが)、車とスレスレに近い距離で走るのが、非常に怖かった。まああの川崎の交通量は、あまり他にはないものであったけど。

でも、その練習の帰り、多賀谷さんと一緒にたまさいを通って帰宅した時に、今まで電車でしか行けなかった距離が、自転車で行けること、なんなら自転車の方が速かったことには感動した。自分の中で、自分の脚で行ける場所が増えて、少し世界が広がった気もした。

その後練習にも慣れ、12月あたりには練習にも加われるようになった。当時全くの初心者であった僕と一緒に練習するということで、あまりにも実力差があり他の部員の方々には非常に迷惑をかけたと思う。佐藤さんに、智也と一緒に後ろから自転車を押してもらった記憶が鮮明にある。(佐藤さんその節は大変お世話になりました。)ただそんな中でも徐々に練習にもついていけるようになり、着実に成長をしているという実感はあった。

2年生は初めて出場した2daysのホビーロードレースで、クラスは低かったが両日とも4位になり、あれ、俺才能あるんじゃね?と勘違いをした。ただそこから腰痛に悩み、思うように練習できない期間が10月くらいまで続き、あっという間に後から入ってきた部員に抜かされていった。そうしたフィジカル面の弱さも含めて、小さい頃からスポーツにおいてフィジカル面でのケアを軽視していたからではあると思うし、弱さだったなと思う。(事実、高校でサッカーをやっていた時も故障が多かった。)

萎えていた

結局腰痛もスポーツ整形外科などには通ってみたが、結局はなんだかんだのりはじめて、全体的に自転車に乗る筋肉がついてくるにつれて良くなってきた節があった。

なので2年夏はほぼ稼働せず。確かコロナの影響でインカレトラックとかも観にいけなかったし、観に行ったロードはその当時自分にとってあまりにも遠いところに感じた。こう振り返ると、そうしてずっと当事者意識を持てないまま時が進み、気づけば3年。遅れて入ったくせに、その後もたくさん時間を無駄にした。こうしてロスした時間はあまりにも大きいものだったと感じる。

その後身体も回復していき、2年の最後には、川島で5着に入って、昇格へあと一歩というところまできた。そして、3年では、JBCFでも初戦で昇格し幸先の良いスタートを切ったが、その後の学連の初戦での飯山で後輪をかり取られ落車という悪夢のようなスタートから始まった。自転車競技は、怪我しないのも、転けないのもかなり重要な要素だと思う。

その後美山、草津と出場したが、なかなか昇格できず。白馬では一週間前にコロナにかかって、直前まで出場を渋っていたが、出場。結果が5位と3位で、またもや昇格を逃した。そしてその後の群馬で昇格しようと意気込んでいたが、インカレでの事故により学連の大会は当面の中止。そのためJBCFやホビーレースにも積極的にも出場し、jbcf霞ヶ浦では2位になりE1に昇格することもできた。あの瞬間は、どこか自分の殻を破れた気もして、素直に嬉しかった。

したり顔の小林

しかしそこから就職活動を迎え、そればかりになってしまい、練習量を激減させてしまった。今思えば、何か就活のことに手を動かすことで就職活動に対する不安を、紛らわせていただけなのだと思う。結論、自分の人生に自信がなかったし、自分がやってきたことを胸を張ってアピールできなかったから、それを取り繕う時間が必要だった。

そして迎えた4年生で迎えた、インカレ出場権をかけた最後の白馬。正直ドがつくほど緊張していた。1日目は今までしたことのないミスをしてDNF。そして2日目、明らかに自分が一番自脚があるレースだった。今まで自分が一番実力があるレースなどなく、常に他の選手に合わせた動きでレースを走っていた。だから、何をしていいかわからなかったし、逃げる度胸も経験値もなかった。そして最終週、アタックにチェックを入れて、最後のコーナーを2番手で入り、ゴールの旗が見えた瞬間にかなりの早駆けをしてしまい、後ろの選手を綺麗にアシストし、垂れて3着。当時の自分には、「悔しい」という感情も大きかったが、(自分にとっての)重要な局面でまたも結果を出せなかったこと、そしてそれが今までの行動と競技に対する姿勢の必然的な帰結だったので、「情けない」という感情も大きかった。

あのジャガイモって結局どうなった?

多分2位になったり3位になったりした時に、自分は心のどこかで満足していたのだと思う。「大悟は走るセンスがあるな〜」なんて甘い言葉をかけられて、ずっとうっすらと慢心していたのだと思う。結局ただ、1位になる自分の実力がないことを誤魔化ながら走っていただけだった。もっと1位への執念を持ち、「いつか昇格できるだろう」という楽観的な考えは捨てるべきだった。どんなレースでも、1位でなければ悔しくて口を聞かなくなるぐらいの、図々しさがもっともっと自分には必要だった。どこかで自分より強い選手がいることを知り、潔く負けることに安住していた。そして、「昇格まで後少し」この後「少し」という差が、自分にとっては大きな差であるという事実から目を背けるべきでなかった。「自分は着実に成長している」と自分に言いきかせ、自分の努力の過程を省みること、真に自分の弱点を見つめることをしてこなかった気がする。

そして、こんなにも後悔ダラダラ未練だらだらの分を書くことができるのは、誰よりも自分の可能性を信じていたからだと思う。(納会資料には大それた目標をよくかいていたしw)「もっと強い選手になれたな」、という感情は大きい。インカレにも出たかったし、もっと全国レベルで活躍したかったし、1位にもなりたかったし、もっと強ければチームにも貢献できたなと思う。弱いことは悪いことじゃないけど、本当に毎日自分が強くなるための努力をできていたかはわからない。

そして、うまくいくことばかりじゃないなとも思う。川野がTOJで優勝したり、西村が神宮で勝ったり、僕らはその表層の部分だけをみて、才能とかいう言葉に集約しがちだけど、そうして結果を勝ち取る人たちのコアには必ず努力があって、失敗があって、そうしたものの積み重ねで、やっと芽が出たものなのだと思う。

振り返ると、自分は、自分より遥かに強くて、自転車についても詳しくて、人間性も優れているメンバーが同期にいたから、彼らに頼りっきりになってしまった側面があると思う。ただずっと自分は自転車自体を好きになれなかったから、そのコンプレックスもあり、引け目を感じていた気がする。どこかであいつらには敵わない、邪魔になってはいけないという気持ちがずっとあったのも事実だとおもう。

僕が1年生の10月に部活に入って、4年生の7月、約3年弱という、時間。正直遠回りするには短すぎる時間だったなと思う。そこに近道はなかったと思うけど、もっと1日1日を、大切に過ごすことはできたと思う。だからその後悔の方が強い。人間だから自分に弱くなってしまう時や、全てが嫌になってしまう時はあるけど、そこで、サボるか、頑張るか、そういう積み重ねが、強さに繋がっていくのだと思う。

最後に

同期とは、部活以外の時間も一番一緒に共にしたし、(まあ同期以外に学校に友達がいなかったのもあるが、、、)とにかく本当に感謝している。こんなに仲の良い代は、多分あまりないと思う。一番語り合った仲だと思うし、一番濃い時間をすごした仲間でもあると思う。多分クサいこととか真面目なこととかを茶化さず話してくれるし、話せる仲間だったから、こんなに仲良くなれたのかなと思う。全員が全員、僕みたいなやつだったら、終わってた。まあ社会人になっても、よろしく!

とにかく、佐藤家で年1ホームパーティーは恒例行事とさせていただきます。

先輩も非常に良くしていただきました。物事の分別もつかず、非常識な自分を指導してくださってありがとうございました。これからも人生のメンターとしてよろしくお願いいたします。

後輩も、とにかく今を頑張ってほしい。みんなが当たり前にきているユニフォームと、その歴史は、先の部員が懸命に繋いできて、勝ち取ってきたものだと思うから、その矜持と自覚を持って、袖を通し、練習に励んで欲しいと思う。

宇佐美監督にも感謝したい。インカレに出れないような、言ってしまえば戦力にならない部員にも、常に気をかけてくださり、本当に嬉しかったです。これからはOBとして、部に貢献します。

両親も、あんまり普段は言う機会がないけど、安くはない機材を、「大悟が頑張るなら」と出してくれたこと、ここまで部活を続けさせてくれて、かなり危なかしいこともあり心配もかけたけど、本当にありがとうございました。

慶應自転車部の環境は、すごく恵まれている環境だなと、率直に思います。だからこそそれに驕らず、それを最大限活用するつもりでいれば、競技者として、人として、ものすごく成長できる環境だとも思います。

あんまり自分は口に出してはいなかったけど、自分は大学から始めた選手の一つの道標として、全国レベルで結果を残したいと言う思いもあった。しかしながら、最後まで目立った結果は残せずに終わった。そこには、正直、悔いが残る。

だからこそ、まだレースには出たい。まだまだ身体は衰えない気がするし、まあスポーツ選手だったら、今ぐらいが一番脂が乗っていい時期じゃないか?とさえ思う。なので、身体が元気なうちは、まだまだシクロとか、何らかのレースに出たいなと言う気持ちがある。社会人1年目で、どれほど仕事が大変なのかまだわからず、正直実現可能性は不明なので、みなさん、程よくカムバックを期待しといてください。どちらにせよ、今の1年生がいる頃までは、練習には遊びに行かせてください。

クサイことを書きますが、本当にこの部活に入って、一生ものの友人にも出会えて、もう一つの青春に出会えることができて、良かった。あの時、直感でこの部活に入ったことは、自分の人生の中において、優柔不断な僕の、最良の決断だったと、胸を張って言えます。

これからも皆さんと仲良くできれば嬉しいです!これにて慶應自転車部部員として、最後のブログとさせていただきます。

p.s. 懐かしのブログ

部活に入って1ヶ月の僕

E1昇格後の僕

これからもよろしく

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