これまでの3年、これからの1年③(忍耐と成長の3年生編)前編

〜コロナ禍と自転車ネットワークの拡大〜


一年生編

2年生編


3年生

である。

コロナ禍のよる大会の中止。先の見えない状況。いろいろな試みが無になる。

2020年、最大の目標であった全日本選手権は資格獲得大会も含めて中止。

多くの選手が練習意欲を失うなか、自分はいつか行われるであろう大会で昇格するために練習に励む。

自粛中に行われたeレース大会では、鍛え続けたFTPにより慶應最強eレーサーとして頭角を現す。

しかし、1年以上まとまった休息なしに練習し続けた身体はピークを過ぎ始める。

徹底した個人ロードレース対策により昇格は果たすが、決勝大会で全国レベルを思い知らされる。

インカレでは劣悪なコンディションの中、ナショナルの走りに圧倒されDNFという結果に終わる。

1月時には誰も予測できない展開となった2020年。この年の競技生活を振り返る。


2020年 3月 1779km

2月下旬、合宿が中止になる。

計画していたメニュー走はほぼこなすことができなかった。

2回目館山合宿でできたメニューはこれだけ↓↓


2/26
フラワー延長版2
Tateyama de Zwift stage2
134km TSS 182

フラワー一周目はLA走。2周目はLT走。2周目前半は平均時速40kmの特急ペース。
気温が低く雨に打たれながらの午前で、午後も止まなそうだったので午後は室内練習。
スマートローラー2台、ワットバイク、3本ローラー無数、ウェイトの神環境なので室内練でもしっかり練習できる。

2/27
南房1周ver.鹿野山
140km TSS 207

前半はLAペースでローテ。鹿野山麓のコンビニでの小休憩を挟み、ヒルクライムバトル。
自分のペースで登ることを意識し(自分は結果としてその方が速い)、川野のアタックは無視。アタックについていった壮太郎と西村は回収したが、川野との差はなかなか詰まらず結果2位。ぱわーうえいとれしおを示すことができず残念。あたりまえ太郎なことだが数値と実際の速さには相違がある。ただ60kgが69kgに負けたのは悔しいね。

帰りは爆速。区間KOM取れたレベル。


自分が企画した館山合宿の新しいアイデアとしては以下のようなものがある(走行強度については2年生編で述べたので省略)

・スマートトレーナー、ワットバイクの館山への持ち込み

・部室にある筋トレ器具を全て館山に持ち込み

・中長距離班と短距離班の練習完全分離

目的としては、合宿での練習効果の効率化。

効率化するためには2年生編で述べた強度管理と練習環境の改善が必要であると考えた。合宿というものは金がかかり、金を稼ぐ時間を奪う。コストがかかっているのだからメリットも大きくなければ東京で練習したほうがよくなってしまう。

合宿の問題点の一つが、雨である。雨では基本的には練習を行うことができない。当初予定していた練習量が確保できない可能性がある。今までは雨によって合宿メニューが崩れることが多かった。加えて集団練習中心なので各自の弱点克服などを目的とした自主練の時間を設けることができない。

この問題点を解決するために上記にあげた室内トレーニング環境の拡充を行った。雨でも交代でローラーを使用することでメニュー走を実行できる他、練習が物足りなかった部員はワットバイクで、しっかりもがくことができるようになった。またこれにより短距離班も館山にてしっかりとした筋トレができるようになった。


帰京後

部員全員を集めての練習が中止になる。

私はzwift主体の練習となりひたすらzwiftで距離を乗っていた。

そして3/5に自転車生活における転機が訪れる。

湯河原往復200kmライドである。

元々は小原の誘いで参加することになったものだがここで一橋掘、東工大加藤、東農大小松、都立大西村と初めて一緒に走ることになる。

そう現在の学連多摩民の始まりである。

彼らそのものは前から認知していたものだが、仲良くなったのはこれがきっかけである。もともと多摩地域の学連選手で集まって練習していたが慶應がこれに加わるのはこれがきっかけであろう。

私はここで次のことを学ぶ

東京に住んでいても150km走ることはできる

いろんな人と関わりいろんな知識を知ることの重要さ

普段から共に練習できる友を作ることの大切さ

まず私は頭のどこかで練習範囲を規定してしまっていた。部練以外では100以上は乗りにいかなかったし、相模湾まで自転車で練習しに行くなど想像もつかなかった。(原が定期的にヤビツを自走で行っていたが、「こいつは頭がおかしいと」と当時の自分は思っていた。)

次にいろんな人と関わること。いろんな人と関わればそれだけ多くの知識を得ることができる。慶應チャリ部の非常識が他大学チャリ部の常識ということはいくらでもあるし、その逆もいくらでもある。慶應チャリ部という組織を考えるには外の知識を得て客観視することが非常に大切である。

最後に練習相手の存在。やはり一人で練習を行うことはきついし、強度もどうしも物足りないものとなってしまいがち。やはり共に練習してくれる存在がとても大切。

慶應チャリ部の問題点として住んでいる地域がばらけ過ぎているということがある。自主練したくても部員を誘うことは難しい。ここで重要になるのが近所に住んでいる他大学の選手(もちろん社会人の方でもいい)である。

これらの点に関しては社会人になっても重要なことだと思うし、後輩はぜひ慶應チャリ部の外をみて欲しい。


あとは館山に日帰りで行きTTT、ITTの練習をよくしていた。

当時のブログ↓

「川野が頭一つ飛び出ていて、石井纐纈原小原西村がほぼ団子状態。その日のコンディションによって順位が入れ替わる(一回みんな元気な状態でやりたいね)。その団子集団でも40分ぐらいならみんなAve.40km/h以上で走れる人材たちなので良い感じ(館山はUターン回数が多いので利根川ならもっと速い)。TTTの目標平均速度も去年より高く設定できる。」

結局TTは中止になり、ここでの努力はある意味無駄となる。


2020 4月 1553km

当時のブログ↓

「部活動が自粛になりました。よって形式的に外で練習出来なくなりました。
しかし
サイクリングは対コロナの運動として医師から推奨されています(自転車業界では賛否両論ですが)。
ということで外では練習ではなく“サイクリング”に勤しむことにしました。」

予定されていた大会が全て中止となる。

私は持て余す体力をzwiftにぶつけた。zwiftで1時間超えのロードレースを戦っていた。またZwiftのトレーニングプランを始めた。

つまりこの期間の練習は

・外で走るサイクリング

・家で行うzwiftトレーニングプラン又はレース

という2部構成が基本であった。

当時のブログ↓

「Haute Route Watopia stage 3
8位/382 1:58:45 Ave.237w(4.0倍) NP257w
73km TSS 144

ここ最近で一番辛いレースでした。
またもや最終時間に参加だったのでレベル低め(バイトの関係上この時間しか無理)。

スタートしてからEpic KOM の中腹までの最初の20分は体重比ほぼ5倍で推移。すでにキツい。Epic KOMの頂上まではなんとか先頭集団にへばりついていたが、ラジオタワー登りの斜度20%で集団崩壊。自分流石に千切れる。その後下りでまた集団になるがそれは第二集団でした。平坦を順調に集団内でこなし(自分も含め誰も引こうとしないのでペースガタ落ち)、Volcano KOM、Epic KOM reverseを体重比5倍で登り、ヘロヘロになりながらゴール。

Alpe du zwift がなければ36-28でも登れた。もう30にしたけど。

いい練習になりました。楽しかったし。」

今思うとなかなか強い。まぁIRCチャレンジの時の方が強いんですけどね。

また

当時大好評だった企画

zwift全体練が始まる。

初めの方は皆慣れずゴタゴタが続いたが、

3回目ぐらいからまともな練習になり始める。参加者も慶應に絞らず、東工大や学習院、駒澤など他大学も含めた幅広い方々と一緒に練習したことも良かった。

何よりコロナ禍で他人と会えないなか、オンラインで繋がり互いに意識しあう状態をキープすることが非常に大切だとこの時は思っていたし、今も思っている。

加えてコロナ禍で他大学が悲惨な状態になっていることは耳にしていたため「こここそ私たちが差を詰めるチャンス」と思っていたところもある。

実際にコロナ禍ながら比較的練習できていた人たちは結果を出している。

ここで後輩に伝えたいのはどんな状況に陥っても「何かできることはないか」と常に考え実行し続けるメンタリティーの大切さである。

やっぱり部活を通して得られる人生経験は非常に重要なものである。


長くなるので今回はこのくらいで。

中編に続きます。

5/1には私があの津田くんと逃げをかますあのレースが開催されます。そして人生初の優勝もこの後達成されます。

いつ完成するかわかりませんが、お楽しみに。

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